「神に祈るボクサー」と王者たち --- 長谷川 良

2015年06月16日 11:06

元世界ジュニアフライ級王者の具志堅用高氏が14日、国際ボクシング殿堂の殿堂入りの表彰式に参加したというニュースを読んで、スポーツ記者時代、静岡県三島市でキャンプインの具志堅選手と会見したことを思い出した。練習後の僅かな時間、トレーナーと共にインタビューに応じてくれた具志堅さんの印象は寡黙なボクサーといった印象を受けた。具志堅さんは13回連続防衛に成功している。

1970年代、日本ではボクシングはスポーツの中でも国民の人気が高かった。スポーツ記者になったばかりの時、日本でクリスチャンのボクサーが活躍していた。残念ながら名前は忘れてしまったが、メディアは「神に祈るボクサー」としてかなり大きく報道していた。神を信じながら相手ボクサーを殴打できるものだろうか、と当方は当時、単純に考えたものだ。欧米のボクサーには敬虔なクリスチャンが少なくないことを後で知った。ちなみに、米国の元チャンピオンの中には、引退後、聖職者になったボクサーもいる。

リングの近くで写真を撮っていた時、殴打されたボクサーの鼻血が飛んできて、当方の白いワイシャツに付いたことがあった。ボクシングはテレビで観るよりも野性的なスポーツだと、その時分かった。

当方はスポーツ記者時代、具志堅選手のほか、輪島功一選手とインタビューする機会があった。日本人ボクサーとしては重いクラス(スーパーウエルター級)の王者となった輪島さんは当方のような新人スポーツ記者に対しても丁寧に応じてくれた。会見の日、10人余りの記者たちが輪島さんとのインタビューの為にジムで待機していた。当方は最後だった。輪島さんも多分、疲れていただろうが、屈伸運動をしながら笑顔を見せて応じてくれた。単に世界チャンピオンというより、人間輪島の生き様が当方にも伝わってきたものだ。

日本では当時、スポーツといえば、野球、大相撲、ボクシングが人気があった。当方はその中でもボクシングが好きだった。個人スポーツであり、そこにドラマを感じたからだ。逃げることができないリング上で2人のボクサーが全ての力を振り絞って相手に向かう。ボクシングは非常に孤独なスポーツだ。それが好きだった。

欧州に住んでからも時たま、ボクシングの試合をテレビ観戦する。先月、世界ウエルター級王座メイウェザーとパッキャオの王座統一戦が大きく報じられたばかりだ。ただし、欧州ではスポーツと言えばやはり、サッカーだ。スポーツ放送局では1年中、どこかのサッカー試合を中継している。ボクシングの場合、放送権の問題も絡んでか、テレビ観戦できないことが結構多いのは残念だ。

米ニューヨーク州カナストータで行われた表彰式に参加した具志堅さんの写真をみながら、「あれから40年余りの時間が経過したのだな」といったシミジミとした思いが湧いてきた。それにしても、そのアフロヘアーの髪型もあるが、具志堅さんはまだまだ若々しい。具志堅さんの殿堂入りを祝いたい。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年6月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。


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