面白くない結果を生んだ世界文化遺産決定

「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産の登録決定は所在地の方々には嬉しいニュースとなったようですが、全体として捉えると後味がとても悪いものとなりました。日本側は本文化遺産の登録をするために大きな犠牲を払ったことになり、やや、本末転倒だった感が否めません。

日本側はユネスコ代表として佐藤地(さとうくに)氏が指揮を取りました。佐藤氏のポジションについては安倍首相が女性の社会進出を後押しするために2013年6月に局長級ポストである外務報道官に起用するなど高く評価されておりました。

その文化遺産登録を決定するユネスコ決定を前に韓国側が戦時中の徴用工問題を上げ、日韓双方は高官レベルでの交渉を繰り広げ、6月21日の外相会談で登録に協力することで一致したと報道されました。これで一応の決着がついていたはずですが、7月のユネスコ会議の直前に韓国側との折り合いがつかず、決議がユネスコ最終日まで延期する事態となっていました。

そしてテレビなどでご覧になられた通り、佐藤地ユネスコ代表が発言します。その中でキーの表現は以下の通りです。

… there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions….

英語としての理解からすればこの発言は唖然とさせられるものであります。佐藤代表はなぜ、こう言ったのか、これが韓国側との最後のどんでん返しの交渉だったのか、これはあまりにも想定外でありました。この決定がなされた瞬間、テレビでは各地の中継点を結び、一斉に万歳をしている姿が映し出されていましたが、私は佐藤代表がこの説明をしているシーンを見て凍りつく思いでした。

今、三菱重工など日本の企業が徴用工問題で韓国で訴訟され敗訴を続けています。そのため、日本側は控訴し、戦い続けているその背景は1965年の日韓請求権協定で徴用工問題も解決済みとしているからです。ところが韓国の姿勢(法廷も含む)は政府間の決定と民間ベースは別物であり、65年の協定が民間の損害賠償を否定するものではない、というところに根本的な問題があります。これは慰安婦問題も全く同じスタンスで、2011年に韓国の憲法裁判所で判決が下っています。

徴用工をどうとるか、ですが、一般的スタンスは戦時中のわずかな期間(11ヵ月間)に国内人材不足のため、韓国からの労働力を給与が対価として提供してもらったのであります。一部未払い給与も65年の協定で解決済みであって少なくとも日本政府側からforce等という単語が出てくること自体あり得ないことであります。

もともと明治日本の産業革命とうたっているのですから明治であって昭和の時代の徴用工が出てくること自体がおかしいのですが、韓国側はそこをねじ込み、挙句の果てにどう逆立ちしても日本が譲歩したとしか思えない発言がユネスコの決定の場で出てしまったのです。外交官はプロの交渉人であるゆえ、世界文化遺産に歴史問題を刷り込ませてしまったのは最悪の結果であります。

直後から菅義偉官房長官が火消しに走り、何が日韓の間で交渉、理解されたのかよくわからない状態となっているのが現状です。ということは佐藤地代表は韓国側の理解を得、世界文化遺産に登録することだけを目標とし、禍根を残すこともやむを得ないと思われてもおかしくないわけで政府が今まで貫いてきた徴用工に対する姿勢を崩すものと厳しく糾弾されるかもしれません。

また、現在、多数の徴用工裁判が韓国で進んでいる中で日本政府が強制性を認めた証拠として裁判所は採用するであろうし、そうなればますますこの裁判の行方は日本側にとって厳しいものになってしまいます。

気のせいかもしれませんが、今回の世界文化遺産登録決定はマスコミもその決定の事実を取り上げた後は急速に熱が冷めたような感じに見受けられます。もちろん、この週末から週明けにかけてニュースがあまりにも盛りだくさんだったことはありますが、それにしても私にとっては実に不満な形となったとだけは申し上げたいと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 7月8日付より