韓国とは距離を取って付き合うしかないんじゃないのか --- 宇佐美 典也

2015年07月10日 22:15

明治の産業遺産の世界遺産登録を巡り韓国が強烈なロビイングを展開して、それに押し切られる形で日本代表団が「forced to work」という表現を用いらざる得なくなったとのことで、いつにもまして嫌韓感情が蔓延しているように思える。これを機に韓国のナショナリズムについて勉強したのでまとめたい。にわか勉強なので間違いがあれば指摘いただければありがたい。

さて話は戻るがユネスコにおける日本代表団の発言は全文は以下のようなものだった。

「Japan is prepared to take measures that allow an understanding that there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites」

 (ガーディアンwebサイトより引用)

直訳すると「日本としては(今回登録となった)いくつかの場所で1940年代に多くの韓国人及びその他人々がその意志に反して連れてこられ過酷な条件の下で働くことを余儀なくされたことに関して、理解を得るための措置をとる用意があります」というところなので、外務省がなんとごまかそうとも日本は自ら世界に対して「いくつかの施設で強制労働があったことを認めきちんと説明します」ということを宣言したことになる。

韓国としては慰安婦問題が行き詰る中で「強制労働」という新たな日本への交渉材料を得たわけで「江戸の敵を長崎で討つ」的な外交勝利を獲得したわけだが、今回の韓国のやり方は一種の瀬戸際戦術なのでこうなると日本国民から強い反感がでるのは当然である。これに絡んで身の回りの政治的発言を滅多にしない友人や親族からも「韓国って本当にやーね」的ないわゆる嫌韓発言が多数聞かれるようになってきており、もはや「嫌韓」は国民レベルで定着しつつあるという実感を覚えている。日本人としては「なんであなたたち日本をそんなに目の敵にするの?そろそろいい加減にしてくれませんか?」というような感覚を持っている人がほとんどなのだろう。そこで、そもそもなぜ韓国がこれだけ日本に噛みついてくるのか、という点について彼らの歴史的アイデンティティにさかのぼってにわか勉強で考えてみた。

さて韓国という国(というか朝鮮という地域)は常に中国と日本の間にある弱小国として侵略の脅威におびえながら有史の大半を過ごしてきた。それ自体は何ら恥じることはないただの事実で、その原因は「民族の資質」などではなく幸か不幸か中国と日本という東アジアの大国に挟まれてしまった地政学的事情によるものである。

図1韓国の歴史

以下ざくっと朝鮮の歴史を眺めてみよう。

→韓国に統一王朝が誕生したのは918年の高麗政権以降のことだった。高麗は金ー遼という中国の北方民族政権に朝貢する属国ではあったが、大きな自治権をもつ実質的な独立国であったとされる。しかしその後中国に誕生したモンゴル民族の元朝はより直接的な支配を望み、これを高麗が拒否すると元朝は朝鮮を度々侵略し、1273年には朝鮮全土を支配した。こうして高麗は完全に元朝に飲み込まれ従属国となるのだが、14世紀に入り元朝の力が衰えると1356年に高麗は元朝の支配を離れ再び独立する。しかしながら独立したものの今度は中国の新興勢力と日本の倭寇の侵略に悩まされることになり、戦争が相次ぎ国力は疲弊していく。日中に挟まれた国の悲哀である。

→このような中、豪族である李成桂が前線で活躍して人望を集め力を持つようになり、これを警戒した高麗王家と権力闘争に陥るが、ついには禅譲という形で1392年に高麗から政権を譲り受ける。これが「李氏朝鮮」の起こりである。李成桂は中国と日本の間に挟まれた高麗と同じ轍を踏まないように、中国に誕生した明に積極的に恭順することを選んだ。こうして「独立した朝鮮」という立場はわずか30年程度でおわり、李氏朝鮮は自治権をもった明の属国となる。「強きものの庇護を仰ぐ」という事大主義の台頭である。

→これは結果的に功を奏ししばしの混乱を経たのち国内の治安は安定する。力を得た李氏朝鮮は1418年に日本の室町幕府が明との断交を決断すると1419年に明の先兵として逆に日本の対馬への侵略を図るがあえなく撃退されるということもあった。しかしながら15世紀末には王権が弱まり官僚化ー地方豪族の台頭が進んだ結果、国内の権力争いが激化してしまう。この権力争いは100年にわたる長いものとなり、この間朝鮮の人心は疲弊する。

→こうした国内での抗争が激化する中で1592年ー1597年、豊臣秀吉が文禄ー慶長の役で攻め込んで来て朝鮮の大半は一時的に日本の支配下に置かれる。結果的には全面的に明の力を借りることで日本を撃退することに成功するが、国力は大いに疲弊し、李氏朝鮮は明に頭があがらなくなる。またも中国と日本に翻弄された形になる。国力が衰えた李氏朝鮮は明に全面コミットすることになるが、これが裏目に出る。明もまた日本との戦争で疲弊しており、後金(清)という新勢力の台頭を招くことになる。全面的に明にコミットしていた朝鮮は、明が衰えていくと後金の激しい攻勢にあうことになる。こうして1636年、朝鮮は全面的に清となった後金に敗北。国王が三跪九叩答礼を強いられ完全な清の属国となる

→「朝鮮の清の属国化」という状況はその後200年間にわたり継続し、この間朝鮮内部ではひたすら朝廷での権力抗争が続く。この状況に変化が生まれたのは西欧列強のアジアへの進出という外圧であった。西欧列強からの強烈な外圧にさらされると朝鮮は極端な攘夷政策をとり開国を断固拒否した。その間度々フランスなどとの小競り合いが生じ国力は疲弊する。このような中で日本と結び開国を図るべき、という「開化派」が生まれ、清の属国という立場を守ろうとする事大主義勢力と対立する。またも日中の間に挟まれたわけである。しかしこの争いは清の介入により徹底的に開化派が弾圧されたことで、事大主義勢力の勝利に終わる。こうして権力闘争に一応の落ち着きが見えたところで国内で「東学党の乱」という大反乱がおきる。

→自力で東学党の乱を鎮圧できない朝鮮は清に鎮圧の支援を仰ぐことになる。しかしここに西欧列強の支援を得た日本も権益保全を名目に介入する。こうして朝鮮半島は300年ぶりに日本と中国の間で直接的に争われることになり、これが最終的に日清戦争という形で日本の勝利で決着。1897年朝鮮は形式的に「大韓帝国」という名で独立し、ついに有史上初めて、全土が日本の影響下に置かれることとなる。

→清の影響力が排除されると今度はロシアが南下政策を取り、ロシアと日本の間で朝鮮半島を巡る争いが始まる。この争いは日露戦争の日本の勝利という形で決着がつき、1910年には朝鮮は日本に併合されることになる。いわゆる「日帝35年」の始まりである。このような中、第一次大戦後に国際的に「民族自決」の機運が高まると、1919年に朝鮮国内で3.1独立運動が発生、1542回のデモに延べ205万人が参加する国民運動となるしかし日本はこれを弾圧して鎮める。現在の大韓民国はこの過程で上海で生まれた「大韓民国臨時政府」を継承するものとしている。大韓民国臨時政府は抗日運動のシンボルとして第二次大戦終了まで朝鮮国外で活動し続けている。彼らの活動資金は中国国民党政権から拠出され、活動の指導はアメリカから受けているが、あくまでシンボルであり実体的な活動はほとんどなかったとされる。

→第二次大戦で日本が敗れると朝鮮は1945年に南北を米ソに分割され連合軍の統治下におかれ、1948年に米ソがそれぞれ傀儡国家を設立。これが今に続く韓国と北朝鮮である。そして1950年朝鮮戦争が勃発、1953年に停戦し南北の境界線が確定する。その後大韓民国では大韓民国臨時政府の首班であった李承晩の独裁が続くが、1960年に4.19革命と呼ばれる民主革命がおきて失脚する。しかしながらすぐに現朴クネ大統領の父である朴正煕大統領によるクーデターが起き、民主主義政権は瓦解する。その後朴正煕ー全斗煥と継承される27年間の開発独裁を経て、1987年に盧泰愚大統領により民主主義に基づく現憲法が施行され現在に至る。

このように近代以前の朝鮮の「悠久の歴史と伝統」とは日中に挟まれる中で「強き中国の力を借りて、いかに日本を排除するか」という歴史であった。朝鮮の独立度合いは中国との力関係で決まるものであって、歴史上本当の意味での独立国として歩んだ時間は極めて短い。日中という2つの大国に翻弄されてきた韓国が真の意味での独立を果たしたのは、日清戦争により日本が中国の影響力を排除し、第二次世界大戦でその日本がアメリカに追い出され、さらに朝鮮戦争でこの地域にアメリカという重しが生まれてソ連の圧力から解放されて以降のことである。もっと言えば冷戦の構図が崩れてソ連ー中国の圧力から解放された1980年代以降のこととも言ってもいい。つまり、力学として現在の韓国を生んだのは近代日本とアメリカである。「韓国を独立させよう」という意志を持って戦った人々は数多くいたが、そのいずれも挫折するか事大主義に飲み込まれた。

その意味でいまの韓国は第二次世界大戦以前の中国の影響下にあったいかなる朝鮮政権とも断絶した新しい国家である。歴史が存在しない。しかしながらそれを認めることは民族としてアイデンティティの危機であり、現在の韓国は形式上

 「歴史上の英雄たちが中国と距離を置きつつも協力して悪逆なる日本を撃退

  →帝国主義日本による悪逆な支配

  →3.19運動による民族運動、しかし悪逆なる日本が弾圧

  →大韓民国臨時政府が誕生。連合国と提携。

  →第二次大戦で連合国と協力して日本を撃退

  →アメリカと協力して大韓民国を設立

  →アメリカと共闘してソ連撃破

  →民主化運動により軍事政権打倒」

という神話を作り上げ、それに民族的アイデンティティを依拠することにした。

韓国は歴史を通じて中国と対等でなければならず、またその独立した韓国を力で併合した日本は悪逆でなければならず、また韓国はその悪逆を打倒した連合国(戦勝国)でなければならず、そのためには歴史の歪曲もやむ得ないという姿勢を取っている。

それは民族のアイデンティティの問題である。別に私はこれを非難するつもりもないし、また称えるつもりもない。いかなる国にも国家のアイデンティティを支える神話があり、その神話には多分に歴史上のウソが含まれている。当然日本も、である。今の韓国の姿はリアルタイムでその神話を作っている最中というところなのであろう。それは韓国の国内問題である。日本にとって大事なことは彼らの国内問題が、日本の国益を損ねるような外交問題に発展することは避けなければならない、というただその一点のように思える。

そんなわけで、日本政府はそろそろ韓国政府と同胞になろう、とか、歴史を共有しよう、とかいった発想を捨てるべきであるように思える。それが韓国のためであり、また日本のためでもある。韓国がこのような虚構に基づく神話をいつまでも説き続けることは無理であろうし、また日本がその虚構を受け入れることはなおさら無理である。

本当に韓国に必要なのは歴史を歪曲することではなく、連合国でもなく、また日本から自立で独立を勝ち取ったわけでもない、という歴史的事実を内部消化することなような気がするが、お隣の国の事情にまで口を出すのは少々僭越かもしれない。いずれにしろ日本にできることは、謝罪などではなく、距離を取って、是々非々で淡々と外部で見守ることくらいのはずだ。

ではでは今回は長くなりましたがこの辺で。


編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2015年7月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。


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