五木寛之氏が語る「戦争の教訓」

作家・五木寛之氏が読売新聞1日付けに語った「戦後70年 あの夏」を読むと、胸にどっしりと響いて重い気分にひたされる。

五木氏は教師だった父母に連れられて生まれてすぐ朝鮮半島に渡り、終戦の年は平壌(ピョンヤン)の中学1年生だった。夢は戦闘機乗りになることで、負けるとは思っていなかった。

情報がまったくない中で、広島・長崎の原爆投下も大きなニュースにはならず、8月9日に侵攻したソ連軍が迫っている事実も知らなかった。終戦の前日、父親が「明日重大発表があり、ソ連が日本と同盟して、米英に宣戦布告するらしい。これでもう大丈夫だ」と話していたぐらいだ。

だが、重大発表は敗戦を告げる「玉音放送」だった。「治安は維持される。軽挙妄動を慎め。市民は現住所にとどまれ」というラジオ放送を信じていた。軍上層部や官僚、財閥と家族が真っ先に、列車や飛行機で内地に向かっていたことを知ったのは、戦後もだいぶたってからだった。

8月下旬、大量のソ連兵に踏み込まれ、母親はソ連兵に乱暴され、まもなく死亡。愛妻を亡くした父は茫然自失の状態となった。長男だった五木少年はソ連軍の宿舎に行き、片言のロシア語で「ラボタ。ダヴァイ(仕事ください)」と叫んだ。まき割りや靴磨きなど雑用をこなし、パンや肉のかけらなどをもらって生き延びる生活。冬は零下何十度の極寒で、発疹チフスでバタバタ人が死んだ。子供だけでも助けたいと、現地の朝鮮人に子供を預けたり、売り渡す人もいた。

人間の弱さ、ずる賢さ、弱肉強食の生存競争と利己心、品性が赤裸々に出てしまう極限状態。

収容施設にソ連兵が来て、「女を出せ」ということも多く、水商売風の女性が押し出されるようにして連れていかれる。その光景を五木氏は凝視する。

一番こたえたのは、(その)女性がボロ雑巾のようになって帰って来た時、近くにいたある母親が子供に「あの人には近づくんじゃないよ。病気を持っているかもしれない」と叱っていたのを目にしたことです。本来ならば土下座して感謝すべきなのでしょうが、あの時は非常事態でしたから、みんな何を見ても無感動で、おかしくなっていた。

逃げるためにトラックに乗り込む時、「お先にどうぞ」と言っている人は帰ってこられなかった。トラックに最初に乗り込んだ人たちが、後から乗ろうとする人を蹴落とすような日常だった。

「飢えた子供の顔は見たくない」と言いますが、収容所でジャガイモをもらい、妹と分けようと思ったら、大人に横取りされたこともあった。「飢えた大人の顔は見たくない」。つくづく思いましたね。「善き者は逝く」。だから僕は、帰って来た自分を「悪人」だと思っている。 

「良い人ほど先に死んで行った」とは、戦中を生き延びた高齢者からしばしば聞かされる。「どこかずるく立ち回って死を免れたのだろう」という苦渋の思いが、生き残った自分を「悪人」と指弾させるのだろう。

五木氏のもう1つの反省は、時代の風潮や固定観念、役所やマスコミの情報、噂話に流されることなく、自力で「情報」をつかみ、自立した行動をとることの重要性だ。

戦後70年の今、一番の反省点は、ラジオや新聞の情報、噂話を漠然と聞きながら、上からの指示を待っていた自分の怠惰さです。……真剣に事実、真実を知ろうとする執念に欠けていた……。父親(の)……官舎は空港のすぐ横にありましたから、終戦詔書の前に飛行場を観察すれば、高級将校らの引き揚げの動きを察知できたはず。当時はまだ列車が動いていましたから、体一つで脱出すれば、あんな目に遭うこともなかった。

独自の情報把握による危機から脱出と言っても、一般庶民のできることには限りがある。日本への復員・引き揚げにしても、ソ連支配下の北朝鮮にいたか、米軍管理下の南朝鮮にあったか否かで状況は大きく異なり、「運」の要素が大きい。

だが、それでもやれることはあり、それを実行するかどうかが運命を分ける、と五木氏言いたいようだ。結語に実感が込もる。

戦前・戦中の教育などで、お上の言い分に盲従する習慣にどっぷりつかっていた。それが「情報難民」を生みました。……いつの時代も情報は隠されるものです。だからこそ自分たちで隠されたものを探り当てる熱気がないと、生きていけない。戦争の教訓はそれにつきます。

左派、リベラル派の知識人やマスコミ、野党なら、このくだりを、「戦争法案の強行採決、徴兵制の復活に突き進む安倍政権は情報を隠している。これをあばき、集団的自衛権の行使を阻止しなければならない」という風に読み込むのだろう。

だが、私の読み方はむしろ逆だ。「集団的自衛権の行使容認」を憲法違反と言い募るリベラル派は、統帥権の独立を声高に主張し天皇機関説を唱えた学者を非難し、「国体を守れ」と叫んだ戦前の軍部や右翼に似ている。

大事なことは国家と国民の安全を守ることだ、という視点にかけ、頑なに法律や制度の条文にこだわるからだ。

シビリアンコントロール(文民統制)は戦前も本来、国家の基本であったはずだ。一方、解釈改憲の行き過ぎ反対を唱えるばかりで、「憲法9条栄えて、国滅ぶ」ということになっては困る。外部環境の変化に即して防衛体制を変えて行くのは当然の政略だ。

その変化を具体的に解りやすく説明する責任が安倍政権にはある。国民に適切な情報を提供する姿勢が不十分だから支持率が下がっている。野党もマスコミもその点を突いている。

そこで、安倍政権が「中国の脅威拡大」を説明すると、民主党は「それは行き過ぎだ」と反論する。日経新聞によると、民主党の枝野幸男幹事長は7月29日の記者会見で、安倍晋三首相が中国の海洋進出などを強調して安全保障関連法案の必要性を訴えていることに関し「日中首脳会談を模索している状況で、特定の国名を出すことがトータルのわが国の外交安全保障戦略上、適切だとは到底思わない」と批判した。

安倍首相も徒に中国を刺激したくないという気持ちから、これまで国会で「中国の脅威」を指摘することを抑えてきた。しかし、実態は「脅威」なのである。

だが、リベラル系のマスコミはその事実を書くことについて抑制的だ。野党も中国を恐れてか、あるいは中国脅威論を語ると安倍政権に塩を送ることになると思ってか、何も言わない。「脅威をあおれ」とは言わない。しかし、事実を正確に書く姿勢は必要だ。でなければ、日本国民を「情報難民」にして、適切な判断を失わせてしまう。

戦前の新聞が情報を適切に開示せずに軍部の批判を抑えていたように、現在のマスコミも情報開示という責務を放棄しているとすら思える。あるいは中国におもねっているように見える。

「情報難民をなくせ!」。五木氏の「戦争の教訓」はそう主張していると思われる。