敢えて憲法学者を擁護する --- 山城 良雄

2015年08月06日 00:46

安倍政権の人気が下げ止まらん。飽きられはじめたところへ、ギリシャ中国からの大波でアベノミクスの化けの皮もハげた。そこへ、集団的自衛権違憲騒ぎ。落ち目とはこんなもんや。

今後の展開を予想すると、次は閣僚陣の個人的スキャンダルがボコボコ出てきて、一丁上がりという気がする。おそらく「健康上の理由」が登場する。前回の政権でもそうやったが、このひとの粘り弱さには定評がある。

さて、今回の辞任劇(まだや、まだや)の大きなポイントとなったのが、集団的自衛権への違憲論ということになっている。ケッタイな話や。普段から全国民がこぞって、憲法学者を崇拝していて、その「御聖断」を絶対視しておるわけではないやろ。

政権側が国会に呼んだ学者はんが、野党の口車に乗ったとは言え、「違憲です」とやってしまった事が問題なんやな。要はオウンゴール。そのあとも憲法学者の大部分が違憲判断をしていることが分かって、さらにエライこっちゃ。

一方、憲法学者への批判も大きい。国が滅んだら護憲もくそもないやろ。というわけや。だいたい、日本国憲法を作った日米の関係者や砂川判決を出した裁判官が、「集団的自衛権の行使」てな事態を想定していたはずがない。だから、逆に言えば、学者たちは違憲論も合憲論も、なんぼでも勝手に展開できる。理系の頭で考えると、そもそもこんな議論を学問と呼べるかどうか疑問、と言いたいところや。

もともと憲法学というのは地味な学問や。特に、専門を日本国憲法に特化してしまうと、本当に研究テーマが少ない。何しろ、半世紀以上も改憲はなし。違憲立法問題も、尊属殺人や婚外子など、法律的には広がりの少ない話題ばかりや。花が無いとも言える。

こういう訳で、過去の立法やら判例やらをこねくり回して体系を築きあげる研究手法でやってるから、憲法学者は、新しい事態への対応は本質的に苦手。「解釈改憲」と言われるような、キワキワの新しい問題では、どうしても「違憲」という結論が出やすくなる。

「憲法学が偏向している」とか、「憲法学者はサヨクだ」と言ってみても仕方ない。地震学者や火山学者が原発安全宣言を出さないのと同じで、学問の構造が、もともとそなっておる。個々の学者はんをいじめたら可愛そうや。

さて、話は変わる。少し前のワシの記事で、人間を3タイプに分類する話をした。ブチキレ人、ヘリクツ人、ボケナス人というやつやな。矛盾を感じたときに、思考を単純化するのがブチキレ人、思考を精密化するのがヘリクツ人、思考を停止するのがボケナス人というのが、現段階でのワシの定義。これを3バカセオリーと呼ぶことにする。

こういう性格分類(血液型、星座、G型L型……)てなものは、トコトン「下らない」というの相場やが、周知の通りワシの場合、「下らない」のは全ての記事に当てはまるから、気にせずに続ける。久しぶりに「ウけている」感じもしとるしな。

さて、3バカセオリーの最先端の研究成果によると、「3タイプが共存すると、ロクなことがない」という法則が発見された。以下「混ぜるな危険原則」と呼ぶことにする。

集団的自衛権の話に戻る。「改憲」論にも3タイプがあると思う。改憲というのは、それまでの理論に、大きな矛盾が出てきたときに起こるわけやから、3バカの違いが出現しやすい。以下、例を挙げよう。

まず、ブチキレ国家の米英。憲法と現実が合わなくなったら、さっさと改憲してしまう。アメリカの憲法は修正だらけ。イギリスに至っては、まとまった憲法条文自体がなく、議会と王侯貴族との取り決めが軸になって、寄せ集めで構成されている。少なくとも日本人には、そう見える。

矛盾がすっきりするのはええが、そんなにしょっちゅう憲法をいじっていては、憲法と他の法律との違いが分からなくなって、「立憲主義はどうなってる」と突っ込まれそうや。

次に、ヘリクツ国家。古い古い「憲法」を読み直して、なんとか現実的な政策とのつじつまを合わせようとする。典型的なのが共産主義国や。ソ連ならマルクス・エンゲレス全集。中国共産党なら毛語録。北朝鮮なら金日成著作集。地方が実施する細かい政策にまで、いちいち「古典」からの論拠がつく。

「憲法を暮らしの中に生かそう」という意味では良い面もあろうが、何しろ面倒くさいことこの上なく、官僚組織の肥大化にもつながる。また、いよいよ本当に行き詰まると、体制自体が吹っ飛ぶ。宗教改革、ソ連崩壊の世界や。

中国共産党が、わりと長持ちしそうなのは、もともと「ボケナス要素」を国民が持っていることが、安全弁になっている。ただし、ここへ「ブチキレ要素」が加わると「3バカ揃い踏み」でヤバイ。ワシの見たところ文化大革命なんかが、この例やと思う。話がそれたな。

で、ボケナス国家。この連中は矛盾なんぞ、全く気にせんと、チャッチャカ国を動かす。最新の典型例はギリシャや。政権党が国民投票をあおりながら、その結果を数日後に無視する。法的にどうやってツジツマを合わせるんやろう。ギリシャの憲法は全く知らんが、それでも憲法と矛盾していると断言ができそうや。

では、いよいよ今回の集団的自衛権騒ぎを、憲法学者の立ち位置を中心に3バカセオリーで分析してみる。

今にして思えば、安倍政権も、サクっと解釈改憲(ヘリクツ改憲)しておけば、集団的自衛権ぐらい大した問題にもならんかった(実際は、大した問題かも知れんが)と思う。

ところが、政権発足当初から「改憲する」と大声でわめきはじめた。この段階でブチキレ路線がスタートしている。このままなら、憲法学者は「違憲」「違憲」と言っていれば、役割は果たせたはずや。政権側は「ね、だから改憲でしょ」と言える。あとは国会と国民の判断や。

ところが、いつのまにか解釈改憲の話が出てきた。つまり、「今の憲法のままでも、解釈次第で合憲」と言いたいわけや。それなら、内閣法制局あたりを使って、理論武装することになる。さっきも書いたように、これはヘリクツ仕事や。憲法学者は議論に参加して、自分の理論を展開すればいい。別に合憲論を吐こうが違憲論を出そうが、あくまで論争なんやから非難される理由はない。決着は国会がつける。

ところが、実際に違憲論が出たとたん、安倍政権はまともみ論争をせずに、「学者は、無責任に机上の空論を吐く」という「現実論」へ逃げた。国民の理解も必ずしも徹底しようとしない。さらに、法的安定性いりません宣言。矛盾を無視する典型的なボケナス状態や。はじめからこれをやるなら、憲法学者は黙っていればよかった。政権が、現実を理由に違憲を気にしないんやから、とりあえず憲法学者としての仕事はない。寝てたらええ。

結局、安倍政権の改憲政策はブチキレ・ヘリクツ・ボケナスの3バカ揃い踏み状態。こうなると、ものすごく無茶なことをしているように見える。悪い意味での「なんでもあり」。ひとたび、そう見られてしまうと、徴兵制やら原発へのミサイル攻撃なんかの「怖い話(別に今に始まったことやないのに)」が次々出てきて、総理が何を発言しても、国民は真剣に聞かなくなる。

一方、憲法学者の方も、「既存の憲法学では違憲」と言っただけなのに、3バカに振り回されて、何か場違いな発言をしているように見えてしまう。学問的に違憲なら、違憲で、どうするか考えるのが、政権と国民の仕事やろ。学者が恨まれたり、バカにされる理由は全く無いと思う。ホンマに気の毒な話やがな。

今日はこれぐらいにしといたるわ

大阪の暑さで原稿が雑になりそうな山城良雄

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