集団的意志決定のルール

 安保法制の賛否で、日曜日に行われたデモの参加者数に関する議論や、国会での強硬採決の是非などについて、ネットではさまざまな議論というか意見が飛び交っている。 数字や審議時間の多寡なんていうのは、それぞれの立場で評価も違う。だからこそ、民主主義の前提として大事なのは、共通な意志決定ルールの明確さと、そのルールの尊重だと、私は思っている。

 たまたま、今週は、イーサネットや無線LANに限らず、さまざまな標準を策定し、国際的な普及を勧めてきた、IEEE-SA(Standard Association)のトップレベルにあるSASB(The Standards Board)の会合が東京で開催されている。ここでは、組織としての意思決定は、所謂多数決にっよって行われているが、そこには厳密なルールとしてRobert’s Rules of Orderが存在している。そこで、この機会に、集団的意志決定ルールについて考えみてはどうだろうか?


 今回の会議期間中は、組織のトップを含めて、多くのスタッフが来日し、関係省庁や日本の標準化団体などを訪問するのだが、私も職務の関係で、いくつかのミーティングに同行している。これらの、ミーティングに向かう前に、彼らに理解してもらう必要が有るのは、日本における集団での意志決定にかかる文化の違いだ。

 各種の公的な委員会、民間企業の取締役会、各種団体から地域の自治会の総会なども含めて、日本では、評決による意志決定がされることは稀である。もちろん、それぞれの内規などにより、多数決をすることはあるが、多くの場合満場一致が多いようだ。たまに、評決によって何かを結定すると、テレビドラマや映画のように、勝負事のようにとらわれ、反対派も賛成派も、結果の如何にかかわらず遺恨を残すことが多い。極端な言い方をすれば、日本では空気でなんとなくの集団的意志決定をすることはあっても、多数決で明確な集団的意志決定をすることを良しとしない風習がある。

 国会にしても、地方議会にしても、議事規則は存在し、それに従って意志決定をしている。また、国会において議決を行使する権利を有する国会議員は、選挙というルールに則って、国民自らが選出しているわけだ。また、株式会社の取締役と株主議決権においても、同様にルールがある。

 ところが、私たちを取り巻く、身近なところや、よくある一部の有識者会議とか諮問機関などでは、その議決権をもつ委員の選任が、非公開なルールによる選任となる。このためか、多くの人にって、多数決は、投票による議決権行使とその結果という部分にしか興味がないか、知る機会が圧倒的に少ないのだろう。

 たとえば、何かの議決をするには、その動議提出に必要な条件がルールとして存在するし、さらには動議の文言についての、修正なども厳密なルールが存在する。これは、先に書いたRobert’s Rules of Orderに限ることではないが、もし多くの人がルールに対する知識があれば、悪戯に多数決の結果だけに拘泥することなく、そのブロセスを含めて、もっと審議の流れや背景に対する理解が進むのではないだろうか。
 そして、仮に評決のか結果が自らの期待と異なったとしても、まずは、その結果に従うことを了するのではないだろうか? もちろん、同じルールに則って、その評決を修正するための手段が存在することも、結果に対する尊重につながるだろう。

 Robert’s Rules of Order は、残念ながら日本では初等教育などで取り上げられないが、せび若いうちに、その存在や運営を見聞きするチャンスを多くの人に持って欲しいものだ。

  ちょうど、今週末には、「IEEE802 Wireless 標準化推進・リーダーシップ育成セミナー」、こんなのも開催されるので、ここではRobert’s Rules of Order についても、解説するつもりだ。