様変わりする将来の「戦争」

安保法案騒動のお陰で「戦争と平和」についての国民の関心が高まったのは良い事だ。「戦争」とか「軍隊」とか言う言葉をタブー視して、口の端に乗せることさえ憚っている状態では、「平和」を守る事など出来るわけもないからだ。

9月1日付の「どうしたら戦争をなくせるか」と題する私のアゴラの記事でも説明したように、色々な理由によって、まだまだ当分の間この世界から戦争は無くなりそうになく、そうであるなら、「戦争とはどういうものなのか」「どうして戦争は起きるのか」という事を、我々日本人としてもよく知っておく必要がある事は言を俟たない。

日本には「平和憲法」があるので、戦争から無縁でいられると信じている人は、まさかいないだろうが、「日本の平和憲法は世界から戦争をなくす上で役に立つ」と漠然と考えている人は結構いるかもしれない。この人たちは「これから日本の真似をして、自国の憲法を日本の憲法のような内容に変える国が出てくる」と期待しているようだが、私はまずそれはないと思う。

現時点で、日本の平和憲法は日本を縛ってはいるが、当然の事ながら、他の如何なる国も縛れていない。どんな国でも「自国だけを縛り、他国はしたい放題」等という状態を望むわけはないから、他国が日本の真似をする可能性は極めて少ない。

「日本の平和憲法は断固として守り抜くべき」と考えている人たちには、何故か主として左派系の人たちが多いようだが、こういう人たちが、中国や北朝鮮に「あなた方も日本に倣ってほしい」と、駄目モトででも要請したという話は寡聞にして聞かないから、少なくともこの近隣二国については、左派系の人たちも既に百パーセント諦めているものと理解せざるを得ない。

現在の日本の憲法が出来た時点では、米国をはじめとする各国は、狂信的に軍国主義を信奉していたかのようだった日本人を恐れ、出来れば永久に日本人を縛っておきたかったのは当然だ。だから前文と第9条にあのような文言を入れたのだ。実は「平和憲法」と銘打てる憲法は何も日本の憲法だけでなく、多くの国の憲法が平和への希求を謳い、色々な形で「不戦の誓い」も立てているが、「その為の戦力を持たない」とわざわざ謳って、自らを縛るような事はどの国もしていない。

実はこの「戦力を持つか持たないか」という事こそが鍵なのだ。相手が戦力を持っていれば、どんな国も迂闊には仕掛けては行かない。しかし、戦力が存在しないと見れば、好き勝手に色々な事を仕掛けてくる可能性は大いに高まる。領土にしても領海にしても、理屈などは何とでもつけられるし、強引な事をしてでも相手を屈服させれば、自国民は大いに喜んでくれるからだ。

戦力とは何か? それは「一定数を超える訓練された戦闘要員」「装備」「戦える体制(法制)」の三つからなる。このうちのどれが欠けても戦力にはならない。「訓練」や「装備」には時間がかかるから、付け焼き刃では役に立たない。「治にいて乱を忘れず」という言葉があるように、平和の維持に相当な自信がある時から、「戦力」だけは持っていなければならない。

(ちなみに、ホルムズ海峡の機雷除去の必要がなくなっても、また別の危機が何時どこで発生するかもしれないから、機雷除去の「能力」とそれを可能にする「体制」は、常に持っている必要がある。従って、この事で安倍さんを問い詰めるのは筋違いだである事を、念の為ここで指摘しておきたい。)

「戦力は持っていたが、遂にそれを使う事はなかった(平和が守りきれた)」という事になれば、何よりも喜ばしいし、そのような形になるように最大の努力をすべきだが、それが可能かどうかは誰にも予測できない。如何なる外交努力を尽くしても、相手国の状況はコントロールできないからだ。

さて、先回の記事で「何故戦争が起こるのか」についてはかなり丁寧に説明したが、今回は、それでは「戦争になってしまった場合はどういう事が起こるだろうか」という事について、私の考えを述べさせて頂きたい。

戦争の歴史は技術革新の歴史だ。

古代においては製鉄技術が全てを決めた。鉄の剣を持った兵士と青銅の剣を持った兵士が戦えば、鉄の剣を持った方が勝つに決まっているからだ。鉄砲が出てくると、織田信長のようにその威力に目をつけて大量の鉄砲を揃えた軍が優位に立ち、幕末においては欧米から最新鋭の銃を大量に輸入した薩長軍が優位に立った。スペインやポルトガルがいとも易々と世界各地から富を収奪できたのも、大型帆船と大砲の技術があった故だし、英国がその後を襲って世界に覇を唱えたのも、産業革命で優位に立って、最新鋭の武器を大量に装備し得たからだ。

第一次世界大戦と第二次世界大戦は、文字通り「技術」と「産業・経済」の総力戦だったと言ってもよい。

最終的に勝利を収めたのは、強大な生産力を誇った米国と、鉄の規律で共産革命を成し遂げた直後のロシアだったが、これに敵対したドイツや日本も、科学技術と生産力においてはかなりの力を持っていたので、戦争は長期化し、犠牲者の数は天文学的に増大した。相手国の戦闘力を支える産業自体を壊滅させ、相手国民の戦意を喪失させる必要性から、非戦闘員も容赦なく殺戮する「仁義なき戦い」が常態化し、遂には「悪魔の最終兵器」である原爆までが使われた。

さて、口では如何に美しい事を言っていても、米国や中国、ロシアやイスラエル等は、既に次の戦争に使われる技術の開発に余念はないものと思われる。発射準備を整えた核ミサイルが対峙する「恐怖の均衡」は引き続き存在するが、これからは、そこまで行く前に相手国を屈従させる為の「局地戦」用の武器と、相手国の産業経済を急速に弱らせる「サイバー戦」の仕組みが鋭意開発されるだろう。今回は、この前者について、その一端を紹介したい。

現在の「局地戦」の多くは、ミサイル攻撃と空爆の応酬で始まるが、最終的には地上軍の投入が必須である。しかし、地上軍は、相手国の「正規軍の兵士」と「一般人の扮装をしたゲリラ」との区別ができないから、住民の反感を買わないように配慮すれば、自らの犠牲は極めて大きくなる。そして、犠牲が大きくなると国民が動揺するので、指揮官は無理ができなくなる。

しかし、地上軍の主力をロボットで代替すれば、自国の若者たちの犠牲は大幅に減らすことができ、国民の動揺を招くことなく、相当の成果を上げることができる。

ロボットと言ってもマンガや映画に出てくるような人型である必要は全くない。超小型で地表すれすれを滑るように移動する昆虫のようなもので良い。要するにセンサーで相手の動きを感知し、相手に戦闘能力があると見做され、且つ相手がそのような動きを示した時にのみ攻撃すればよい。こちらには不要な胴体や手足がないから、相手の発射する弾丸などによって破壊される確率は少なく、相手を倒す射撃などの精度も、息が上がって手が震えたりする生身の兵士よりは格段に上だ。生身の兵士たちは、ロボットが全ての敵を倒した後に、ゆっくりと進めばよい。

更に、相手国の奥深くにある基地を攻撃する為には、特攻型のドローンを大量に準備すればよい(あまり金はかからない)。目標地が近距離にある場合は、数千機のドローンを直接次々に飛ばせば良いが、遠距離の場合でもやりようはある。

先ず潜水艦で目標地に出来るだけ近づき、急浮上してミサイルを発射する。このミサイルは、相手型の迎撃ミサイルの飛来を感知すれば、ギリギリのタイミングで自らを解体する(迎撃がなければ目的地の上空で解体する)。そうすると、その中に格納されていた百機あまりの超小型の特攻型のドローンが自立して、目的地に向かって飛行を継続するというわけだ。

目的地に着けば、ドローンはそれぞれの目標に自らをぶつけて自爆する。飛来するドローンの数があまりに多いので、あたかも鳥の大群が突然襲ってきたような状態となり、防御側はなす術がない。このドローンがサリンガス等を搭載していて、自爆とともにこれが散布されれば、被害は更に凄惨なものになる。

また、暗い話題になってしまったが、「近付きつつある脅威」に対しては、何れにせよ認識は高めておいたほうが良いと思った次第ゆえ、悪しからずご了承下さい。