安保法案をめぐる議論―現実論と理想論

2015年09月27日 20:53

先日、安全保障関連法案が参議院で可決承認され、法案が成立しました。しかしながら、世論調査等では、反対意見、審議不足、国民への説明不足を挙げる声が大きいようです。この賛成、反対の議論を大局的に現実論と理想論の対立軸という視点で考えてみたいと思います。


まず、賛成派、政府の主張です。これは現実論として導かれた解答の主張であると思います。日米同盟を軸にした日本の安全保障という現状、国土の保全を含めた地政学上の現実、国際社会からの平和貢献要請という現実等、これらの現状、現実から導き出されるのは安倍首相の言葉にある「積極的な平和貢献」ということになります。平易な言葉にかえるなら、「国力に見合った軍隊を持ち、国際社会の要請に見合う平和貢献をしよう」ということだと思います。現実的な視点に立つなら政府の解答は正しい答えということが出来ます。同盟という現実、「自衛隊」という名の軍隊という現実からみれば、米国から軍事的な負担を増やせという要求に応えることは現実的な選択と思います。政府のこの現実論を端的に表現するなら「自衛隊を軍隊として機能する組織にする」つまり名実ともに正式の軍隊をもつことではないかと思います。

それでは、これに対する反対派はどのように考えるのでしょうか。端的に賛成派の比較、対立軸でいうなら「軍隊を持たない或いは自衛隊に自衛機能しか持たせない組織とする」ことではないでしょうか。これは過去の軍国主義の反省、平和憲法の存在から考えれば、一つの正しい解答のように思います。現実論者からみれば目の前の課題を何ら解決できる答えではない理想論に見えますが、過去数十年を振り返ればこれが現実になされてきたことも事実です。

このような視点にたつと賛成派=現実論=全うな軍隊を持つ、反対派=理想論=厳重維持の自衛隊若しくは軍隊を持たないということに集約されるのではないでしょうか。ここで軍隊の定義は難しいですが、やはりクラウゼヴィッツの戦争論の考え方を持ち出すのが良いと思います。(現代の世界のスタンダードは良し悪し、好き嫌いに関わらず、西欧文化、文明がスタンダードになっています。ですから、これを国際社会の一般的な考え方と捉えます。)戦争論では、戦争は政治的行為であり、その手段であると定義しています。とするなら、軍隊は政治的手段を実行する組織であるということです。よって、軍隊を持つか否かは、軍隊という組織を政治的手段の組織とすべきかどうかです。この考え方には賛成派、反対派双方に異論のある考え方とは思いますが、それぞれの主張の方向性を突き詰めて極論的な形で表わすならこの考えに行き着くと考えます。そして、双方の妥協点を探るなら、憲法を実状に合わせた改正する議論、軍隊をどういう位置付けにするかという議論を以って正解を導くべきであると考えます。

このように考えるといずれ双方が納得する結論が導き出されるように感じます。では、法案成立は今後の議論があると仮定すると良い決断だったのでしょうか。やはり、現実を盾にした強引な決断、法案可決には不安を感じざる得ません。なぜなら、現実論は理想論より優位に議論が展開できる考えるからです。自身の周りの組織での議論を思い起こせば、このことは明らかです。会社や共同体、家族に至るまで組織での議論において、「明日をどうするのか」という現実的な決断を迫られることはよく見られることではないでしょうか。そして、現実論者は論法は「明日がなければその先はない」というものです。ここに現実論の危さがあると感じます。拙速で現実的な選択は次の時点でより厳しい現実にさらされ、更に理想論から乖離した現実的選択を迫ることになるのではないでしょうか。歴史を振り返ると日本のみならず、国際政治の世界で同様な選択が悲劇を生んだことは多いように思います。

現実論が全て悪いとは云いません。理想論が全てであるとも考えません。今回、政府の決断には、自らの描く理想的な形或いは長期的な視点があると思いますので、その結論のすべてを一概に否定すべきとは思いませんが、反対意見を現実的な課題解決を以って制するやり方は「拙速」なという形容詞がつくものではないでしょうか。

後藤身延

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