難民問題は対岸の火事ではない

宮崎正弘氏が9日付けのブログ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」で、「欧州への難民問題は対岸の火事ではない」として、遅れをとる日本に警告している。

欧州への(シリア、イラクの)難民を日本は他山の石として教訓化する必要がある。軍事的緊張の高まる朝鮮半島が有事の際、悪質な密航業者が暗躍し、対馬、壱岐や五島列島など警備の薄い日本領土をめざすだろうことは火を見るより明らかである。くわえて中国大陸に政変が起きれば、もっと大量の難民が日本を目指すであろう。そのとき、どうするのか。日本にはノウハウの蓄積が欠落している。

正にその通りである。安保法制の国会論議も憲法9条に抵触しているか否かの議論ばかりで、「今そこにある危機」についてほとんど議論しなかった。政府の説明不足もさることながら、野党議員の的はずれのとんちんかんな議論、それを厳しく追及しないマスコミが、国民に「危機への備え」を伝えていないのだ。

数万、いや数十万人から百万人を超す大量の難民が日本の島々に押し寄せたら、彼らをどう扱うのか。保護するのか。押し返すのか。保護するにしてもどの自治体がどうやるのか。宿舎や食料、医療などは、それらの予算はどうするのか。治安が乱れないようにする体制、準備はできているのか。今、EUで起こっているのはそういう現実である。難民の中に偽装武装兵や工作員が隠れていることもあるだろう。

難民ではなく、韓国や中国に駐在している、日本と密接な関係にある米欧、豪州、東南アジアのビジネスマンとその家族も緊急の避難民としてやって来る。それを無事に保護しなければ、日本は頼りにならない、手前勝手だと非難が殺到するだろう。米国では自国の避難民を十分、助けない日本との同盟関係を維持すべきか、と真剣な議論になるだろう。

流れの速い海流に囲まれた島国・日本に遠い島から流れてくるのは「ヤシの実」ぐらいで、大規模な他国人の流入に悩まされてきたことはなかった。

しかし、船舶がふえ、操船技術が発達した今、大量難民の上陸は十分ありうる。
今から、それに備えた議論を行政も政治も、そしてマスコミ、さらに教育の場でも行う必要があるだろう。

ラグビー日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏がテレビのインタビューで日本人について興味深い見方をしていた。

日本人は決められたテクニックを修得するのは得意だ。ボールの運び方、スクラムの押し方など、基本を忠実に実行する。その訓練を惜しまない。しかし、スキルの修得が苦手だという。スキルとは現実に敵チームと相対した試合を重ねる中で、最適なタイミングで最も望ましい方向にいる味方にボールを投げたり、蹴ったり、相手の隙間に突進する、といったノウハウ、技術のことである。

それは試合経験を重ねながら、身につけていくしかない。世界レベルのスキルを修得するには一流のチームとの大試合の経験を重ねることが大事である。経験豊富な選手を多くすることが強いチームを築く道だ。

今回、強豪の南アフリカやサモアに勝てたのは、そうしたスキルの積み上げだというわけだ。

難民対策も同じことが言える。本物の難民にはお目にかからなくても、日系ブラジル人などそれに近い立場の外国人は日本にいる。在日の韓国人や北朝鮮人も存在する。中国人などの不法滞在の話もある。

その現実を、行政やマスコミはもっと伝える必要があるだろう。教育現場での課題でもある。もちろんEUが中東の難民に対してどう対応しているのかについても、行政やメディアはもっと踏み込んで取材し、具体的に伝えることが大切だ。「まったく我関せず」では、イザという時に右往左往してしまう。

井本 省吾