切り捨てSONY? --- 中村 伊知哉

切り捨てソニー

清武英利さん「切り捨てSONY」読む。
巨人軍代表としてナベツネさんと争い、ジャーナリストに戻った清武さんがSONYを追った実録。出井体制以後のリストラ像を、実名のひとびとが語る。怖ろしい。救いは、SONYを去ったひとびとが活き活きとしていること。

ソニー歴史資料館には井深氏、盛田氏、大賀氏らの写真が功労者として並ぶが、出井さん、ストリンガーさんらの写真はないとのことです。
「私の履歴書」で社長就任を打診されて迷う経営者が登場するたび、ぼくはホントか?と思っていましたが、出井さん以降の社長たちの描かれように、社長を引き受けるリスクの大きさを感じました。

大手企業の役員から「SONYはよく暴動が起きませんね」と皮肉られるという話。
この本に描かれていることが事実なら、ぼくでもそう思います。それほどSONYという会社を愛し、復活を信じるひとたちの組織、ということかもしれません。

ぼくは自分で買う機器はかつてSONYばかりでした。ラジオ、テレビ、ステレオ、ラジカセ、ウォークマン、デンスケ、CDプレーヤー、ビデオデッキ、hitbit、ビデオカメラ、VAIO。
今はかろうじて手元にスマホだけが残ります。次に手にするのは何でしょう。

大賀さんが会長だったころ、講演を聞きに行きました。20年前のことです。
「無線の資格試験で今も朝日のア、イロハのイ、なんてのを残してる。郵政省はバカ。」
との発言があり、大臣官房で規制担当だったぼくは役所に戻って電波部に聞くと、「それ2週間後に廃止することになってるんだよね」との返事。

翌朝、SONYの知人に「だってよ」と連絡したら、伝え聞いた大賀さんがスグ事務次官室にやってきました。
「言ったことにスグ対応するとは何とすばらしい!」
ぼくも次官室に呼ばれて、さんざんホメられました。会長、それ誤解なんですけど・・・と言うのも聞かず、すばらしいすばらしいと言って帰られました。

それを大賀さんはあちこちで話してくださって、じゃあ誤解されたままにしとこう、ということになりました。SONYは元気でした。ニッポンもまだ元気でした。

札幌コンサドーレの会場でSONYのFelica実証実験を見に行ったのはもう10年以上前か。スゴい、天下獲れるぞ、と思いました。どうも、まだのようです。
いま総務省の場で、2020年に向けて、デジタルサイネージとFelicaおもてなしカードを組み合わせたクラウドシステムを検討中です。どうにかなるでしょうか。

ともかく、元気に、やりましょう!SONY様。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2015年10月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。