オヤジたらしとは?

先月29日の「新刊JP」というサイトでの配信記事「力を貸したくなる人が持つ3つの要素」の中に、ある会社役員が「オヤジたらし」の条件として挙げる次の3点、「裏表がない」「やりたいことをやりたいとストレートに表現できる」「信念を持っている」が紹介されていました。


商人の町であった大阪・船場では、「年寄りは若い人、若い人は年寄りを友だちにしなさい」と昔から言われてきました。若者は年長者の経験から学びを得、年長者は若者の感性から学びを得るのが大切だということです。

『若者の感性に学ぶべし』とは半年前の小生のブログタイトルですが、私自身これまで若い人から色々と学んできています。基本的に年配の人は何時も、若者から刺激を受けたいと思っているものです。

また年長者が若い人と話すと、同年代の年寄りと同じ話を何度も何度もするよりも(笑)、どちらかと言うと新鮮で楽しい思いをすることが、多々あると思います。逆に若者は様々な知見を有する年配者の意見を聞いてみて、感じ入ったり教えられる事柄も沢山あるのではないでしょうか。

会社組織で言ってみれば、新入社員の側も素直さ・謙虚さを常に有し、取り分け技術の習得あるいはルーティーンの習得の類で、先ずは「学ぶは真似ぶ」で先輩諸氏より仕入れて行くべきでありましょう。

そもそも年長者と若い人の間には、そうした関係が本来あるものです。そういう中でどういう若者の特質が年配者の好評価に繋がるかは、やはり「若者らしさ」という部分に見出せると思います。

此の若者らしさとは一体如何なるものかと考えてみるに、平たく言えばそれは一つに、私利私欲に汚(けが)されずに情熱や純心さを持って、自分が描いた道を一途に突き進んで行こうとする姿勢でありましょう。

実社会で苦労した結果、世間の裏に通じ悪賢くなった人を「世間擦れした人」と言いますが、青臭い若者の純粋さの類を全て取り去ってしまった後残るもの或いは歳を重ねて行く程にそうしたものが増えて行き、段々と上記姿勢を失くして行くということかもしれません。

冒頭挙げた「信念を持っている」ということでは、若くして志の類は持っているかもしれませんが、それは信念という所までは行かないものだと思います。信念と言いますと私には、もう少し年老いて経験を積んでから抱くニュアンスを含意しているように感じます。

所謂「青年」が持つべきは、「青雲之志…徳を磨いて、立派な人物になろうとする心」です。それは先述の「裏表がない」という条件に、ある意味通ずるものかもしれません。清清しく穢れなき若者の話が何時も刺激的であったらば、その人を評価し応援したいと思って助けてやろうという気も起こりましょう。

「オヤジたらし」という表現は、私は余り好ましいとは思っていません。私は私どもグループの様々な会社に対する投資の最終面談を数多行っていますが、青雲の志を立てた経営者をサポートしてやりたいと常々思っています。

邪心・私欲・打算なく世のため人のためと考えている、純粋な若者が私にはアトラクティブに映ります。世慣れた先輩諸氏からしてみれば、「北尾さんも子供だなぁ」と思われるような向きもあるでしょうが、私自身がある面いつまでも純粋さを持ち続けたいと思い、今日まで生きてきたからかもしれません。

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