磯田道史「龍馬史」 龍馬暗殺の最終結論

2015年10月29日 23:58

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龍馬暗殺については諸説あるが、この磯田説が今後定説となるのではないか。

この本によって暗殺の命令系統を図式化すれば以下の通り。

京都守護職・松平容保→会津藩公用人・手代木直右衛門→京都見廻組・佐々木只三郎→実行者佐々木以下六名

磯田説は「手代木直右衛門伝」に依る。この文書は、手代木が死の直前龍馬暗殺について家族に語った内容を含む。但し手代木は佐々木只三郎に龍馬暗殺を命じたとだけ述べたもので、主君松平容保の指示とは言っていない。この部分は磯田の推測だが 間違いあるまい。尚佐々木只三郎は手代木の実弟である。

手代木の証言は、実行者の今井信郎、渡辺篤の証言と矛盾しない。今井と渡辺では佐々木を除く残り4名の実行者の姓名に多少異同があるが、それは証言時に存命していたものの名前を出すのを憚ったと考えられるので証言全体の信憑性を損なうものではない。
残る疑問は、手代木が、龍馬が近江屋に才谷梅太郎の変名で潜伏している情報をどこから入手したかだ。ここで薩摩藩が関与した可能性が浮上する。
ただ薩摩藩黒幕説に対し、磯田が「薩摩は大政奉還を歓迎していたので龍馬を殺す動機がない」と述べている部分は同意しかねる。薩摩が土佐の大政奉還路線に同意したのは、心からのものものではなく土佐藩との関係を慮った表向きのものだったと考えられるからだ。

土佐藩にとって大政奉還は、徳川を含む雄藩連合政権を樹立する平和革命の仕上げを意味したが、薩長にとっては討幕劇エピローグの始まりに過ぎなかった。

龍馬があの時殺されなかったら、土佐藩の平和革命路線と薩長の武力討幕路線の板挟みに悩んだに違いない。その時龍馬が薩長藩の連中から、「あなたは徳川幕府を倒すために薩長連合を推進したのではなかったか」と問われたら恐らく次のように答えたことだろう。
「薩長連合の目的は、大政奉還で達成された。平和革命に協力した徳川を武力で討伐するのは道理に反する」。これは小御所会議で土佐の山内容堂が主張した立場に一致する。

「幕末動乱の舞台は清河八郎が幕を開け、坂本龍馬が閉じた」と言われることがある。佐々木只三郎が清河を暗殺したことに疑問の余地はないので、佐々木は幕末の主役を二人共暗殺したことになる。

ここで実行犯ではなく実行者と書いたのは主観的に彼らは公務執行という意識の下でやったことで犯罪とは思わなかったはずだから。

龍馬の最も重要な事績は薩長連合に尽きると考える。大政奉還は龍馬がいなくても実現したであろうし、大政奉還がなかったとしても幕末革命劇の本筋が変わったとは思わない。薩長連合がなった時来るべき新政権のフレームワークが決まったという意味で重要だ。

尚薩長連合も大政奉還も竜馬のオリジナルではないが、そのことに大した意味はない。革命家として重要なことは政策のオリジナリティではない。

NHK大河ドラマでは幕末モノは当らないと言われるのはなぜだろう?ペリー来航から明治初年までを幕末革命劇とみれば、これを幾つかの幕に分けることができ、それぞれ主役は違う。従ってたった一人を通じて時代全体の動きを理解するのがむずかしいからではないだろうか。

例えば以下のような区分があり得るのではないか。区分と重要な人物を挙げてみる。

第一幕 
ペリー来航から阿部正弘の死まで         
ペリー、阿部正弘 水戸斉昭
第二幕 
井伊直弼の大老就任から桜田門外の変まで     
井伊直弼、水戸斉昭、吉田松陰
第三幕
桜田門外の変から蛤御門の変まで   
西郷隆盛、桂小五郎、久坂玄瑞
第四幕
蛤御門の変から薩長連合まで     
西郷隆盛、桂小五郎、高杉晋作、坂本龍馬
第五幕
薩長連合から江戸開城まで      
パークス、徳川慶喜、勝麟太郎、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、大村益次郎

青木亮

英語中国語翻訳者

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