暴走老人 村山富市元総理の世迷言

一昔前、「暴走老人」という表現が流行したことがある。石原慎太郎元都知事も、よく自分のことを「暴走老人」と表現していた。

しかし、石原慎太郎氏を越える暴走老人がいる。

最近、老人がブレーキとアクセルを踏み間違えて、交通事故が起こることが多いが、この人にブレーキはないようだ。常にアクセル全開。村山富市氏だ。

先日も中国の抗日・反ファシズム戦勝70年の式典に出席しようと試みて、顰蹙を買った村山氏だが、まだまだ暴走は止まらない。

11月5日、都内で開かれた安倍晋三首相の「戦後70年談話」を検証する出版記念シンポジウムに出席し、暴走老人ぶりを発揮した。

集団的自衛権の行使を容認した安倍内閣の決断に関して、村山氏は次のように述べたという。

「戦後70年、日本は平和と繁栄を守ってきた。なぜ変える必要があるのか。そこに反対している国民と首相の考えに乖離がある」

あなたにだけはいわれたくない台詞だ。

拙著『平和の敵 偽りの民主主義』の中で詳述した(139頁~を参照)ことだが、村山氏が所属していた社会党は、戦後一貫して非武装中立という妄想じみた政策を掲げていた。恐らく、本心では、不可能だと理解しながら、まるで非武装中立が可能であるかのように騙りつづけた。自衛隊を解体し、日米安保を破棄すると主張していたのだ。国民の考えと乖離した妄想だ。

ところが、権力を掌握すると、態度を一変させる。

民社党の参議院議員、吉田之久氏が国会で次のように村山総理に問うた。

「社会党が今日まで言ってきた非武装中立論は間違いであったと率直にお認めになりますか。
 二つ。社会党は、自衛隊は憲法違反との立場をとってきたことを全面的に改め、今後、自衛隊を明確に合憲と認められますか。」

村山氏は平然と次のように答弁した。

「自衛隊に関する憲法上の位置づけについてのお尋ねがございました。
 私としては、専守防衛に徹し自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は、憲法の認めるものであると認識するものであります」

そして日米安保についても次のように語っている。

「次に、日米安保体制についてのお尋ねがございました。
 冷戦の終結後も国際社会は依然不安定要因を内包している中で、我が国が引き続き安全を確保していくためには日米安保条約が必要であると考えております」

安倍総理に関して「何故変える必要があるのか」などと難癖をつけているが、自分自身がここまで立場を変えておいて、何をいうのか。戦後日本を代表する変節漢、貴方にだけは変節をなじられたくない。

また次のようにも語っているそうだ。

「来年の参院選では『ほら、みたことか』となるよう期待している」

こちらが言いたい言葉だ。参議院選挙の後に泣き言をいわないで欲しい。
そもそも現有議席数を確認しておくと、

衆議院では自民党292、社民党2
参議院では自民党115、社民党3

よく数字を見て欲しい。これが現時点の民意なのだ。暴走老人が何を口走っても自由だが、これが現実だ。

わたしも「来年の参院選では『ほら、みたことか』となるよう期待している」から、村山氏は発言を忘れないようにしていただきたい。

なお、最後に村山氏は次のように述べたという。

「『屈辱の歴史は残したくない』というところに誤りがある。もう少し素直に、率直に良いことは良い、悪いことは悪いとモノがいえるような首相になってほしい」

我々日本国民にとって「屈辱の歴史」とは、「自社さ」連立で村山内閣を作りだしたことだった。ご自身が期待しているのだから、はっきり「モノ」をいおう。村山政権は「悪い」政権だった。戦後最悪の政権と言っても過言ではないほど「悪い」政権だった。そして社会党とは国民を幻想で誑かす「悪い」政党だった。