民主主義って何だ?みんなで予算をまとめることだ --- 水谷 翔太

2015年11月09日 07:00

「客体」としての発言者


「民主主義って何だ?」ストリートで熱く政治的主張を放つ若者の群像をメディアが追いかけた今年の夏。初めに断っておくが、彼らの主張の是非について云々することは本論の目的ではない。

今時のファッションに身を包んだ若者が安保法制という極めて政治的なテーマに飛び込んでくる様がリベラルな方々が多いメディア側からは小気味良くて仕方がなかったのだろうなということはよくわかる。この国は基本的には「和を以て貴しとなす」。空気を読むことがとことん求められる「村社会」。だけど調和が過ぎて停滞へと澱んだ時、メディアや知識人と呼ばれる層からはしばしば発言者の台頭が求められ、一度現れたらばやたらに期待される。義務教育課程では昔も今もはきはきと元気な声で「先生僕はこう思います!」と言う生徒が優等生とされてきた。「自分の意見を言えてえらいですね」。その生徒の意見を他の生徒の多くが受け入れるかどうかはこの際問われない。ただ1つ確かなことは、優等生には学級委員長や生徒会長へのオファーが待っているということだ。

発言者は「主体」であるかのように見えて、その実、先生たちの「客体」に過ぎない。

※真の民主主義は主張するだけではない(画像;WIkipedia、アゴラ編集部)
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意見を言ってそこから先が「民主主義」


実際、世の中に明らかに誤っている意見というのは、なかなかない。誰もが積極的に賛同できる意見というのは限られているものの、いろいろ聞いていたらどれもが「あーそれもいいよね」「まあ気持ちはわかるわ」という意見で満ち満ちている。例えば文化祭の露店で上がった収益をある人は募金に充てようと言う。ある人はスタッフへのねぎらいで飲み会に使おうと言う。企業の売り上げを更なるビジネスチャンスを狙い新規事業にあてるか、不安定な時代に備え内部留保として取っておくか。それぞれともに一理ある。ネット上のやりとりじゃなく、顔つき合わせて話してたらどれに決めたらいいのかわからなくなってしまうことも多い。

そんな時、自分と異なる意見の人をも説得・納得させようとする人、異なる意見同士を調整して最大多数の人が納得できる答えを作ろうとする人が真の民主主義の体現者となる。これを子ども達に体験してもらいたかったから天王寺区では中高生向けのディベートスクールをつくった。ただ自分の意見を言うだけが民主主義だなんてとんでもない。意見を言ってからがむしろ民主主義の入り口だということをメディアも知識人ももっと真摯に向き合うべきだろう。

民主主義とは予算をまとめていくこと


国が進めようとしている「一億総活躍社会」。首相官邸では今月6日、20代の男女12人との懇談会が設けられた。出てきた意見は「就職活動の解禁繰り下げで学業に専念できなかった」という意見に就労相談に行く際の交通費補助を求める意見。同じ日に国会議員から意見を聞けば高齢者の健康チェック、受刑者の矯正施設の拡充、女性の活躍推進…と毛色の違う意見がたくさん出てくる。どの意見も正しいが、言いっ放しじゃ何も決まっていかない。上で例示したような文化祭や企業と違って国はメンバーの数も膨大なので最大多数の納得を作り出すのは容易ではない。

さらに国民から強制徴収した税には限りがある。この制限が実に大きい。税収の範囲におさまるように「予算に反映する意見」「しない意見」をシビアに判断していかないといけない。八方美人にふるまって税収を大きく逸脱し、国債だけ増えていくというのでは本末転倒だ。民主主義とは最大多数の人が納得する予算をまとめること。意見を言うだけの人ではなく、責任を持って予算をまとめようとする人にこそスポットライトが当たり、みんながそこに向かっていかなければ、この国の民主主義はスタート地点にすら立てない。

水谷翔太
大阪市 天王寺区長
ブログ・http://www.mizutani-shota.jp

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