東芝とVWの類似点、相違点

岡本 裕明

東芝の旧経営陣が不適切経理処理で引き起こした2200億円以上にわたる利益操作に関し、現経営陣が渋々ながら訴訟を起こしました。これは株主総会において現経営陣が旧経営陣にその責任を明白にするために訴訟をすべきでそれをしないなら、株主代表訴訟を起こす、とされていたものです。

「渋々」というのは私の想像でありますが、多分、そうだろうと思います。過去3代の社長らを元部下であった現経営陣が訴えるというのは日本の社会ではあまり類を見ず、日本型の人間関係に於いては非常に稀であるからです。小さな会社や経営陣の明白なるもめ事がある場合には訴訟は往々にしておきますが、東芝のケースはある意味、関連者がもっと相当いたはずなのにトップクラスだけにその責任を絞った点に於いて苦渋の選択であったはずです。(日本企業は若い社員は将来があるからそのような処罰の対象にしないという不文律があります。)

今回の訴訟の内容は3人の元社長プラス2人の元CFO(最高財務経理責任者)の僅か5名でその訴訟額はたった3億円であります。私はこの記事を見た時ゼロが一つか二つ足りないと思いましたがとにかく、ずいぶん気を使った優しいクレームであります。どこからそんな金額が出てきたのか、詳細を知りたいと思いますが、多分、その訴訟の支払いをしても財産が全部なくならない範囲という発想かと思います。つまり一種の出来レースともいえましょう。

ところでフォルクスワーゲン社(VW)もある意味似た体質の問題を抱えていました。どこが似ているかといえば内紛と数多くあるブランドを通じた社内の力関係、およびトップに君臨するための戦いであります。VWは今年6月にVWの創業者であるフェルディナンド ポルシェ氏の孫であるフェルディナンド ピエヒ氏が社内闘争に敗れ、監査役会長を辞任しています。同社は過去から様々な力関係の紛争があり、時折、こうした大きな節目を経験しています。

東芝も部門が多岐にわたる中、その中での足の引っ張り合いは当然あったはずです。更に日経ビジネスによると同じ事業部内の購買、販売、在庫の責任者間での月例会議で責任のなすりつけ合いがあったと報じており、優秀な社員がその人事力学に振り回されていたという点に於いてVW社と体質的に重なるところがあります。つまり、社内が一枚岩のベクトルとならず、派閥戦争などで経営として正しい方向ではなかった、ということになります。

全く勝手な言い方をすれば、このような企業の体質改善は稲盛和夫さんのような人の内面から変える改革者が必要な気がいたします。

では東芝とVWの相違点は何処か、といえば問題を起こした人間の処分の仕方であります。

東芝の場合、元社長に部屋があったとか、現経営陣が首を切った元役員を相談役に残した点が非難されています。また、室町正志社長が社長になった経緯や在任予定期間もなんとなく延びてきているようで、けじめと仕切りが悪いことが挙げられます。これは東芝を取り巻く環境がそうさせたのも大いにあるでしょう。日本郵政の社長である西室氏は東芝の元社長であり、氏が東芝を守るために「お願い」をした節があります。氏は安倍首相とも近く、戦後70年談話の有識者委員会の委員長も務めています。

それ故、東芝問題が起きた時、オリンパス事件の様に上場廃止とのぎりぎりの攻防が想定されたのですが、株価は思った以上に下げず、問題が連日報道されていた時も比較的安定した株価を形成していました。それは端から上場廃止はない、と決まっていたからとされ、あらゆるところで東芝を守るという甘さが露呈していたのです。

VWの場合はメルケル首相が懸念を示し、問題の解決を指示したのに対して安倍首相は東芝問題にはほとんど触れていません。ヴィンターゴーン社長は問題発覚と共にさっさと辞任し、今後極めて厳しい処分が下されるとされています。それ以外に関与した社員の刑事告発方針も決定されており、責任の所在を明白にした点が大きく異なります。

日本式経営は良い点が多いのですが、問題発生時の責任所在の置き方はいつもあいまいでトップが頭を下げることで関連者は溜飲を下げてしまいます。多分その根源を探れば農耕民族と狩猟民族の血の濃さまで行き着くのでしょう。そうは言っても日本企業も世界にどんどん飛び出しているゆえ、いつまでも「日本式」ばかりに拘っているわけにもいかない気もいたします。

では今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 11月9日付より