ニューヨーク・タイムズのイノベーション(下) --- 小林 恭子

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記事を出した後に仕事が始まる


エリック記者によると、原稿を書き、記事がウェブサイトに掲載された後に「仕事が始まる」という。せっかく書いた記事を読者に届けるまでの仕事、つまり「オーディエンスに届けること」が重要という。例えばソーシャルメディアを通じて情報を発信する、データを分析していつどのような形で発信すればいいのかを決めてゆく、など。

ここで私は、ふと、日本のテレビ局のことを連想した。日本でも、定額制の動画配信サービスが徐々に出てきている。しかし、テレビ雑誌やネットで情報を追っていると、「テレビ用に番組を制作する。これをテレビで一定の時間に流す。後は視聴者が来るのを待つ」という姿勢を感じる。つまり、なぜ、いまだに「テレビがあらかじめ決めた時間に流す」ことを最優先しているのだろうか、と。

視聴者がテレビの前に座ってくれないからと言って、「テレビ離れ」として騒いではいないだろうか?実は、視聴者は忙しい。ほかにもやりたいことがたくさんある。だから、人がいるところにコンテンツを運ばなければ意味がない。人がテレビに合わせるのではなく、テレビ側が人に合わせるべきではないのかー?

英国で、無料でテレビ番組のオンデマンドサービスを利用していると、日本の様子が非常に不満に思える。

NTYの話に戻ろう。

エリック記者によれば、紙の新聞を読者の自宅まで配達したように、デジタル時代の今、オーディエンスにニュースを届けることが必要だという。

NYTではこれまでにも、オーディエンスを探し、ニュースを届けるために様々な努力をしてきたが、これを「新しくするべきだ」という。具体的には、ソーシャルメディアのエディター、データ分析のエンジニア、デベロパーなどを雇用するよう勧めている――実際に、NYTではもうそうなっている。
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動画を世界的に配信するには?


エリック記者が制作した動画の1つ(2014年)が、「イスラム国」(IS)による殺害を免れた一人の青年の物語。イラクのチクリート近辺に待機していたイラク軍の新兵たちが殺害された時、この青年は運よく生き延びることができた。

いかに生き残ったかをとつとつとカメラに向かって話す青年の動画を、NYTは英語の字幕付きでサイト上に掲載。これを各国のソーシャルメディアで大きな影響力を持つ人にアピールすることで、世界中から視聴者を得た。

NYTの調べでは、この動画を見た人の大部分がNYTのホームページではなくてほかのさまざまなサイトを通じて発見し、視聴していた。

デジタル・ファーストの文化を作るため、3つの方針を作った。1つは「編集室に戦略チームを設ける」、「デジタルスタッフを雇用する」、「編集部門と営業・販売部門と協力を深める」。

編集部では「デジアルメディアのスタッフをこれまでは紙を中心に作ってきたスタッフの隣にすらわせた」。調査報道のチームと同様に重要なのが「デジタルチームだ」。

「ページビューよりも、読者をどれだけエンゲージさせたかが重要だ」。このために、データの分析(アナリティクス)が大きな要となる。どこからオーディエンスがやってきて、どれぐらい滞在し、どの記事を読んだのかー。どれぐらエンゲージさせたのか。

ほかのメディア企業へのアドバイスは5つある。
(1)デジタルスタッフの雇用に力を入れること
(2)編集室にアナリティクスのチームを作ること
(3)編集室にオーディエンス用チームを作ること
(4)編集室に戦略チームを作ること
(5)編集室と商業部門(販売・営業)との関係を円滑にすること

動画を世界各国に向けて拡散させるNYT。世界を相手にするからには、NYTの記者自身が世界中に飛び、各地から報道をすることも重要だという。

エリック記者は世界地図をスクリーンに出した。そのほとんどが水色だ。水色はNYTの記者が今年、現地から原稿を送った場所を指す。1年間で、スタッフが飛行機に乗ったのは「4500回」だという。訪れた国は150か国に上った。記事の信憑性・信頼性がこれまでに以上に鍵を握るようになった。実際に記者が現地に飛んで、生の情報を伝えることの価値がますます高まる。

オーディエンスの開発、デジタルファーストになったメディアの物語の描き方(記事を1つの物語と見る)の多彩さ、そして、「世界を見る視点」が印象深いセッションだった。

あるメディアが国際語である英語を使っているからと言って、自動的に「国際的メディア」になれるわけではない。編集スタッフが実際にあらゆる場所に足を運び、地元の事情を知ることで世界各地から記事を配信し、世界中の多くの人の目につくようなやり方で情報を出していくことで、国際的なメディアというブランドを次第につくってゆくのであることも、実感した。

最後に、エリック記者が継続するイノベーションの1つの具体例として出したのが、アップルウオッチへのニュース配信だ。「ほんの1行で作るニュース記事の作成は難しい。頭を悩ませた」。

身に着けるウオッチに送るニュースの文章は、よりパーソナルなものになるだろうから、通常の記事よりは「ややくだけた文章スタイルがいいようだ」。ウオッチを使って、写真をNYTに送ってくる読者もいるという。

ある読者の感想がエリック記者の心をとらえた。「ある人がこう言ってくれた。NYTは『自分が読みたかっただろう記事を配信してくれる』、と。一人一人の読者が読みたいような記事を、メディアが予測することを期待されている。これが未来の1つの道であるかもしれない」。


小林恭子
在英ジャーナリスト 小林恭子


編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2015年11月15日の記事『国際テレビ会議「News Xchange」リポート-米ニューヨーク・タイムズからのアドバイス』を転載しました(タイトルはアゴラ編集部で改題)。小林さんに心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。