南京事件では”一般市民の組織的虐殺はなかった”

去る11月12日のフジテレビプライムニュースで、南京事件をめぐって大虐殺派の山田朗氏、中間派の秦郁彦氏、まぼろし派の藤岡信勝氏の討論が行われた。山田氏は南京陥落時の人口が60万位いたとか、崇善堂の埋葬記録(11万)を根拠に加えて十数万の犠牲者が出たなどと怪しげなことを述べていた。


秦氏は『南京事件』の3万人の捕虜不法殺害、1万人の一般市民殺害を主張していたが、後者の1万は、スマイス調査の江寧県等4県半の地域での犠牲者数より算出したもので、南京陥落後の「南京城及びその周辺」の犠牲者数ではない。その他、自説の根拠をティンパーリーの『戦争とはなにか』に求めたり、厳密を欠くエピソードを連発するなど、研究の停滞を感じさせた。

藤岡氏の発言で最も重要なものは”南京戦はあったが、一般市民の組織的な殺害はなかった”だが、幕府山事件の弁明は苦しげで、山田支隊が長勇の捕虜殺害の「私物命令」を無視して捕虜を解放しようとして失敗し、捕虜暴動から鎮圧に至った状況の説明をしなかったのは不可解だった。

だが、いずれにしろ、山田氏も秦氏も、南京陥落後に”一般市民の組織的殺害があったか否か”という論点については、安全区からの便衣兵の摘出処断や、幕府山事件における捕虜殺害に一般市民が含まれていた可能性を述べるだけで、”一般市民の組織的殺害はなかった”とする藤岡氏の主張に反証できなかった。

そこで問題となるのが、安全区からの便衣兵の摘出処断や、幕府山事件のような捕虜の殺害が、当時の戦時国際法に照らして合法であったか否かということだが、当時、国民党も国際連盟も、そして南京安全区国際委員会も公式にはこれを非難しなかったわけで、この事実を無視するわけには行かない。

おそらく、国民党にしてみれば、万を超す中国軍兵士が軍服を脱いで安全区に逃げ込んだり、敵に数倍する兵士がむざむざ投降したのは、「勇敢に敵を倒す忠誠な将士」にあるまじき行為だったに違いない。まして、それは南京防衛軍司令官の「敵前逃亡」によりもたらされたわけで、下手に抗議してやぶ蛇になることを恐れたのかもしれない。

そこで、これを「人道的見地」から非難する役割は「我が抗戦の真相と政策を理解する国際友人に我々の代言者になってもらう」(『曾虚白自伝』)ことにしたのである。そのための宣伝本がティンパーリーの『戦争とはなにか』と『スマイス報告』だった。

これらの著作に関わった宣教師らは一定の節度は示していて、「南京安全地帯の記録」に掲載された事件について「これらは、我々の雇員により書面で報告された事件である」(匿名の中国人協力者の書面報告を英文に翻訳したもの)と注記していた。また、中国兵の処刑や戦争捕虜の処刑についても、国際法上の判断を避ける記述をしていた(『「南京事件」の探求』北村稔)。この点、同書の洞氏訳には、多くの意図的誤訳があることが北村氏や冨澤繁信氏により指摘されている。

しかし、その一方で、彼らは、『戦争とはなにか』では、中国国民党中央宣伝部の意を受けて「日本軍の暴虐」を伝聞を利用し醜悪かつ誇大に記述した。また、便衣兵等の摘出処断についても、捕虜の不法殺害や一般市民の虐殺を思わせる記述をした。

さらに、その記述は、s13年3月に紅卍会の埋葬記録が4万弱と出たことで、「四万人近くの非武装の人間が南京城内または城門の付近で殺され、そのうちの約三0パーセントはかって兵隊になったことのない人々である」とエスカレートした。(なお、この加筆記述は、『戦争とはなにか』とほぼ同時に刊行された、その漢訳本『外人目撃中の日軍暴行』からは削除されているという―『南京事件国民党極秘文書から読み解く』東中野修道)

では、こうした「日本軍残虐宣伝」は何を目的にしていたかというと、これは『戦争とはなにか』の「結論」に記されているが、「中国が屈服することは許されない」それを許せば「現在、中国が体験している言語に絶する惨禍を繰り返す危険を冒すことになる」。これを防ぐためには、イギリスとアメリカは日本に経済的圧力を加えるべきであり、中国に武器援助や財政援助をすべきと訴えるためだった。

こうした宣伝工作が功を奏して、アメリカによる対日経済制裁が始まり、ひいてはアメリカを中国の抗日戦争に巻き込むことに成功したのである。さらに、こうした宣伝工作は、日本敗戦後の東京裁判決にも決定的な影響を与えた。このことは『戦争とはなにか』の記述が、エドガー・スノーの『アジアの戦争』(1941)によって、日本軍の残虐宣伝から、さらに日本人及び日本文化の残虐宣伝に変容したことによってもたらされた。(『新「南京大虐殺」のまぼろし』鈴木明参照)

そこでは、南京における日本軍の「残虐行為」は次のように描写された。
「南京虐殺の血なまぐさい物語は、今ではかなり世界に聞こえている。南京国際救済委員会(南京安全区国際委員会の改称)・・・の委員が私に示した算定によると、日本軍は南京だけで少なくとも4万2千人を虐殺した。しかもその大部分は婦人子供だったのである」「いやしくも女である限り、十歳から七十歳までのものはすべて強姦された」「この世界の何処においても日本の軍隊ほど人間の堕落した姿を念入りに、そして全く組織的に暴露しているものはない」日本人は「人種的に関連のあるイゴロット人の場合と同じく医者と首狩り人が今もなお併存している」「日本軍の精神訓練は・・・封建的な武士道に立脚している・・・今日行われている武士道は、気違いじみた人殺しの承認に過ぎぬ」

こうしたスノーによる日本人の描写が、太平洋戦争における日本軍の”バンザイ突撃”や”カミカゼ自殺部隊”の目撃を経て、アメリカ知識人の日本人観を形成した。そこでGHQは、「南京大虐殺」を日本本土の無差別爆撃や原爆投下の非人道性を相殺する格好の宣伝材料として利用した。GHQは、昭和20年12月8日から「太平洋戦争史」の掲載を新聞各紙に命じ、その連載の初日「南京虐殺」は次のように描写された。

「このとき実に2万人の市民、子供が殺戮された。4週間にわたって南京は血の街と化し、切り刻まれた肉片が散乱していた。 婦人は所かまわず暴行を受け、抵抗した女性は銃剣で殺された」。同様の描写は、この「太平洋戦争史」をドラマ仕立てにしたNHKのラジオ放送「真相はこうだ」、さらに「真相箱 」へと引き継がれた。また、これを受けて東京裁判では、新たな南京での証拠集めがなされ、中国は「30万大虐殺」を唱えるようになり、そして今日、「南京大虐殺」はユネスコ世界記憶遺産に登録された。

虚偽の謀略宣伝を放置すれば、それがいかに事実とかけ離れた大虐殺事件に変貌するか、まさに恐るべき情報戦争の世界である。では、日本人はこれにどう対処すべきか。秦氏は、「あったことは否定せず、訂正すべき部分は直すようにする」(プライムニューステキスト)と提言している(番組での実際の発言は”不毛の論争は止めた方がいい”だったが)。

では、その「あったこと」とは何か。私見では、それは南京陥落時の捕虜等の扱いにおいて、松井司令官より解放命令が出されたにもかかわらず、上海派遣軍参謀、長勇による”皆殺し”「私物命令」があったことが、拙速な便衣兵処断や捕虜暴動鎮圧を招いたこと。日本軍の統制さえしっかりしていれば避け得た事件だったのではないか、ということである。

一方、「訂正すべき部分」とは何か。それは先に述べた如く、そうした日本軍の統制の乱れに起因する「南京事件」は確かにあったが、少なくとも”一般市民の組織的な虐殺はなかった”ということ。このことを、日本政府は明快に主張すべきだということ。もちろん、これは、日中戦争を招くに至った日本の軍部主導の「力による大陸政策」を正当化するものではないことは、言うまでもない。