「女性蔑視(?)」告発エッセイの賞味期限

2015年12月17日 17:58

川上未映子氏のフレシネPRコラム「女というだけで加齢すらできない」が話題になっている。

確かに、本文に出てくる、本人を前に容姿を云々する「編集者の男」や「男性作家」がどうしようもない人間であることには一片の余地もない。

しかしこれを女性向けのPR記事だからと言って「女というだけで~」というタイトルにし、男女の問題として扱っていいのだろうか。


デリカシーのない人間は男女問わず、年齢問わず世の中に存在している。毒舌キャラが受けるとみて、下手な暴言を面白いと勘違いして吐く(が全く面白くない)という人は、居酒屋に行けば数団体に一人は存在しているのではないだろうか。

「オジサン=デリカシーがない」ことによって女性が被害者になるパターンの話を女性はよく書くのだが、オバサンの中にも相当数、デリカシーが欠如した人間は存在する。社会的地位、年収、配偶者や子供の有無、もちろん容姿も含めて、言ってはいけないことを言ってしまう。

逆に、特定の人にだけ「男前だね」「美人だね」というオバサン・オジサンもいる。言われない人は普通~それ以下だというわけだ。川上氏の記事タイトルに沿って言いかえれば「ブスということで(あるいは普通すぎて)容姿にすら触れられない」パターン。実際、一番多いのがこの「黙殺される・言及されない容姿」ではないかと思う。彼氏や彼女の写真を「見せて見せて」とねだられて、いざ見せたところ取り立ててカッコイイ・カワイイに当てはまらず、「へー、優しそう」「お似合いだね」などという評価になるのも同じパターンだ。気遣いが痛いのである。

つい我がことのように(!)力が入ったが、話を戻すと、思うのは今でも「女性作家」が、女性がオジサンから受けるハラスメントを「抑圧されて来た性である女性」として告発することがまだネタ(あるいは芸)になるのか、ということだ。

男性作家が異性、それもオバサンから容姿を云々されたとコラムに書いても恐らく話題にはならないし、少なくとも、オバサンに憤ったところでコラムとして面白くはない。「こんなことを言われて、うっかり傷ついてしまった情けないオレ」という自虐的なていでまとめれば、あるキャラクターの作家やコラムニストならぎりぎりネタになるくらいだろう。

いずれにしろ、男女問題などにはならず、「失礼なオバサンがいるね」で終わりだ。オジサンの罪は男性全般が責任を取らなければならないかの風潮だが、オバサンの罪の責任を取ろうとする女性はほとんどいない。オバサンは女性ではないのだろうか?

前時代に比べれば、確実に女性への抑圧は確実に減っている。以前は日本でも非科学的な誤解・迷信に基づくような、文化や宗教の範囲では収まらないような差別もあり、実害があった。昔の女性差別から比べれば、世の中は確実にいい方向へ向かっている。むしろこの手の「男性の無神経に女性は傷ついています!」というコラムが、女性向けのPR記事といえどいつまで賞味期限を保てるのか、そのことと女性蔑視の解消は比例している。

PRサイトには本文に入る前の囲みに、恐らくサイトの担当者が書いたのであろう文面が載っている。

〈子育てから仕事から夫婦関係から社会問題まで、働く母とはなんと多くの顔を持って生きていることだろう。〉

これもよくあるお決まりの定型句だが、読むたびに違和感を覚える。仕事と妻と子を持つ男、つまり「働く父」にも全く当てはまることだから、敢えて書く意味がないのだ。そのことが共通認識になった時、言わずもがなになった時、男女は本当の意味で対等になる。

デリカシーのない人間が絶滅することはないだろうが、男女の問題ではなく、極めて個人の属性として非難されるべきだろうし、そういう時代を女性こそ率先して引きよせたいところだ。

梶井彩子
ライターとして雑誌などに寄稿。
@ayako_kajii

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