学校的な監獄 VS 病院的な監獄 --- 天野 貴昭

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今回もご批判覚悟でざっくりとまとめ上げさせて頂きます

「『監獄・病院(精神病院)・学校』これらの施設は建築構造が酷似している、それは何故か?」

「一見まるでちがうこれらの施設は歴史を紐解くと19世紀初頭フランス革命直後、社会(権力者)に不合理な人間を一定期間拘束して訓練する目的としてほぼ同時期に派生している。実はこれらの施設は収容対象が異なる(囚人・病人・子ども)というだけで発生時の目的は殆ど一緒なのだ」

…といった、ナカナカぶっ飛んだ主張を今から40年程前にフランスの社会学者フーコーが唱えました。

この話、反発も多いと思いますが頷ける部分も多い様に思えます。

・大規模災害で病院が一杯になると大概は学校が仮設病院になります。災害で授業閉鎖する為に空き部屋が出来るというのが大きな理由ですが、構造が似てるので転用しやすいというのも理由のひとつなのかな、と

・日本で教育と洗脳の違いを見極められない方(教育と謳いながら洗脳を実行する方)は結構いると思っています。現場の先生方ですら僅かながもいらいらっしゃる様に思えてなりません。

【学校的な監獄と病院的な監獄と】

前置きが長くなりました、これまでギャンブル依存症について幾度か私見を書かせて頂きましたが、今回は広く「精神疾患が関連すると思われる犯罪と監獄(留置場)の関係」について考えて参りたいと思います。

かつて、日本に於ける犯罪原因の多くは貧困と思われて来ました。従って留置場では監獄という要素の他に「職業訓練校」的な要素が強く反映されています。

しかし現在では精神的疾患を疑われる様な犯罪をよく聞く様になりました。「病が原因で犯罪を犯した受刑者に職業訓練を提供しても改善は遠い」それは道理であります。従って昨今ではカウンセラーや精神医を留置場に配備する動きが盛んになってなって来ました、「訓練所的留置場から病院的留置場へのシフト」この傾向は今後一層強くなって行くように予測しています。

ただ、僕はこの他にも貧困でも病気でもなく社会構造事態に何らかの原因があると思われる犯罪について考えて行かなければならないような、その様な気がし初めています。

例えば先日の佐世保の事件がそうです。リンク記事を読むに弁護士・県職員の皆さんでチームを組んで再発防止策を講じられる様ですね。事件の深刻さを考えるに秀逸な人材が集結された事は容易に推測出来ます。

ただ、もしこの議論が加害者本人の環境に執着してしまわれると、どんなに優秀な頭脳が集結しても議論は難航するだろうな、とも思えています。(もっとも事件の性質上、議論が非公開になるのはやむを得ないと思いますので、判断は参加されている職員・先生の皆様にお委ねするしかないのですが)

【想定外の犯罪に向き合わざるをえない時代を考える】

佐藤学先生(東京大学名誉教授)は御著書の中で「いじめとは学校内でのアパルトヘイトだ」「アパルトヘイトを撲滅したのは医者ではない、政治家だ」…即ち、いじめ問題を被害者救護(カウンセリング)や加害者指導といった局面的な事象と捉えている間は解決が遠いだろう、と述べられました。

僕はこの様な現象が社会全体にも蔓延していて、その対策が成され切れない事が不可解な犯罪の一因となっている、そう思えてならないのです。

現在、佐世保の様な事件に対して画期的な対策は無いと言い切って良いと思います。ギャンブル依存症問題に関してもそうです。僕はこういった想定外の事象に立ち向かう際は、今回ご紹介したフーコーの様な突出した気質(天才? )が不可欠だと考えています。またこういった気質者を日本社会全体で育成し切れて来れなかった事こそが問題の核心にあるとも考えているのです。

皆さんはどう考えますか?

天野貴昭
トータルトレーニング&コンディショニングラボ/エアグランド代表