バブル女性は日本の新しいお見合い仲介者になれるか?

2016年01月17日 06:13

「お見合いオバサン」とかいう定型的表現がありますが、そう言うと「誰がオバサンだって?」的な問題を引き起こしそうなので、「お見合い仲介者」とか政治的に正しそうな言葉を使ってみました。

ひょっとすると今後そういう「新しい形の”おせっかいお姉さん”」たちが、古い時代に担っていた縁結び機能を文脈として蘇らせて行く流れってあるんじゃないか、あったらいいな・・・と最近思うことが色々とあったので、それについて書きます。

これは、最近話題になっている本、

amzn.to

の書評&紹介文でもあります。

「お見合いオバサン」とか言う言葉が多少揶揄を含んで「嫌ぁな感じ」扱いされるのは、それがいわゆる「パターナリスティック」だからということなんだろうと思います。「パターナリスティック」というのは、要するに本人の意志を尊重しない形での「良かれと思っての強引なおせっかい」を、「個人の自由を尊重するべきという立場」から見て批判する時に使う言葉ですね。

で、勿論個人の自由は尊重されるべきなんですが、あらゆる「おせっかい」が排除された社会というのはほんの一部の「コミュニケーション強者」だけに優しい社会になってしまう問題がどうしてもありますね。

例えば私が中学校の時運動会の最後にはフォークダンスがありました。男女が対になって輪になって踊るダンスね。思春期の中学生ですから、「うぜぇ」「だりぃ」とか言ってはいるんだけど、でも結構内心嬉しかったりする部分もある。

ここで、「フォークダンスを無理やり踊らせることは個人の自由に対するパターナリスティックな侵害ではないか。そうではありませんかみなさん?強く明確に手を上げて参加を希望する生徒にだけ踊るように変更しましょう」となってしまうと・・・ちょっと困る人が沢山出てきますよねやっぱりね。

明確に個人の決断として自分はフォークダンスに参加したいです!と周囲が注目する中で宣言するべきだ・・・と言われてしまうと、

「いや、嫌ってわけじゃないんだけど・・・」

「え?あなたさっきうぜぇとか言ってませんでしたか?うざいことを無理やりやらせるのは生徒の自由を重んじる当学園としては受け入れられません。」

的に不毛な争いごとの中で、本来多くの人がそこで淡く甘酸っぱい体験を共有できたはずなのに、それが徹底的に排除される結果になってしまいます。

つまり繰り返しになりますが、「あらゆるおせっかいを排除」すると、ほんの一部の「コミュニケーション強者」だけに優しい社会になってしまう問題があるわけですね。

冒頭に紹介した牛窪恵さんの本は、現代の「若者の恋愛離れ」の実態を事細かに事例と数字を上げて分析していった上で、

そこで「現代の若者が意気地なしだからダメなんだ」と裁く方向に行ってない

点で非常に好感できる本でした。

現代の若者を取り巻く経済状況の問題や、旧来の男女の役割観の崩壊と、さりとてその先のモデルが見えない中で両バサミの混乱に置かれている実態などを分析した上で、もっと「実態にあった結婚のあり方」を模索していくべきという発想ですね。

特に、以下のような部分の発想には非常に「希望」を感じるものがありました。

恋愛と結婚をいったん切り離し、多様な結婚に目を向けられれば、彼らはずっとラクになれる。そうか、「私は『恋愛結婚』がしたいわけじゃない、『結婚』がしたいだけ」だと気づけば、彼らの9割が望む結婚にも、いまよりもっと自然に近づけるはずだ。

(中略)

多様な結婚の形をお伝えしたいと願った理由、それは次の二つの思いからだ。

一つは、「恋愛は苦手でも、結婚はできそう」な男女が、大勢いること。

(中略)

もちろんコミュ力は、あるに越したことはない。ただそれは、結婚後に2人で育んでいけるもの。私も、お見合い結婚した消極的な夫婦で、そんなケースを数多く取材した。

また、近年、婚活中の若者から、次のような嘆きをよく聞く。

「友達に、お前、結婚はできそうだけど、手前の恋愛がムリだろ」って言われるんです。

少し長めに引用しましたが、特に「恋愛は苦手でも、結婚はできそうな男女が沢山いる。そこに縁が生まれないのはもったいないじゃないか、その方法を考えよう」という発想は、これからの時代に非常に重要な「共有していくべき価値観」ではないかと思います。

先のフォークダンスの例で言えば、本当に嫌な人がフォークダンスから抜けられる権利を保証することは勿論大事なんですが、一方でそれに熱中するあまり、「本当は参加したいんだけど恥ずかしい」という人たちが「自然な流れで平凡な幸せを得られる流れ」を演出する権利を侵害している状態を、徐々に「うまくいくように」転換していくべきという発想ですね。

また、世代的にもう少し上かもしれませんが、最近ブロガーのちきりんさんが、「10歳差婚」が流行らせよう・・・というブログを書かれていました。

女性が結婚したいと思う頃に同世代の男はそこまで思いきれないことが多い(経済的理由や精神の発展段階的理由などで)となった時に、ここで「男の性質を裁きにかからない」発想を模索することが、今の時代凄く重要なんですよ。

一昔前だと、極端に美化された欧米の理想とかまで援用されて日本の男はほんとダメだ・・・みたいな裁きのモードに入るのが普通みたいなところがありましたからね。

そこで、同世代の男女だとすれ違いが多いなら、ちょうど10歳差で出会う形を模索すりゃいいんじゃあないの?というちきりんさんの発想には非常に「いいね!」という気持ちになります。

牛窪恵さんの本にも、そういう「古い考え方だと”圏外”だったような組み合わせ」によって「新しい縁」が生まれていく事例が後半に沢山紹介されています。

大きく年が離れた「年の差婚」や、外国人男女と結婚する「グローバル婚」、そして妻が主に稼ぐ「逆転婚」。彼らは(多少語弊はあるが)私が「圏外婚」と呼ぶカップル。一昔まえなら「そういう相手との結婚はないよね」と見られていた圏外の男女の魅力を、既成概念にとらわれず、改めて見なおそうとする動きだ。

「実際そういう性質」が人間にある時に、「なんで教科書どおりに動かないんだお前たちは”間違っている!”」という方向で裁きにかかると、色々な金銭的社会的能力的余裕があるほんの一部の層だけが「理想をなぞってみせる」ことができても、社会の周辺部では物凄いカオスが満ち溢れてしまうことになります。

欧米社会の理想が、辺境に非常に大きなカオスを生み出し、テロでしか彼らからの異議申し立てのコミュニケーションが不可能になってしまっている現代の世界では、その「理想と現実」をうまくつなぎ、「理想を捨てるわけではないが現実に沿っている」ような「抑圧的でないおせっかい文化を生成して共有すること」は全世界的に最先端の課題なのです。

book07_アラブの春full

こうなって↑しまわないように、本当に「欧米的理想を諦めずに末端まで行き届かせる」には、左手で「理想主義」を伝道すると同時に右手で「コミュニケーションがうまくない男女にもその文化の中で”つがい”を作れる希望を与えられるおせっかいシステム」まで整備してあげる必要がどうしてもあるわけですね。

少し長くなってきたのでアゴラでは分割掲載しています。続きを今すぐ読みたい方はブログでどうぞ。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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