「マグダラのマリア」の伝記の映画化 --- 長谷川 良

英紙ガ―ディアンの21日の電子版によると、映画製作会社「See Saw Films」がマグダラのマリアの伝記を映画化する予定だ。第83回アカデミー作品賞などを受賞した「英国王のスピーチ」(原題The King’s Speech)を制作したイアン・キャニング氏とエミール・シャーマン氏らが手掛ける映画ということで話題を呼んでいる。監督はガース・ディヴィス氏だ。クランクインはこの夏だ。

マグダラのマリアは過去、何度も映画化されたが、主人公ではなく、脇役として登場してきただけだ。例えば、マーティン・スコセッシ監督の作品「最後の誘惑」(1988年) 、2004年にはメル・ギブソン監督「パッション」、 古くは1965年の米史劇映画「偉大な生涯の物語」に登場している。

新約聖書によると、マグダラのマリアはイエスの十字架を見届け、イエスの復活の最初の目撃者だ。4つの共観福音書に全て登場する女性は聖母マリアとマグダラのマリア2人だ。この事実から見ても、マグダラのマリアがイエスの33歳の生涯に大きな影響を与えた女性であると受け取って間違いないだろう。

米ハーバード大の著名な歴史・宗教学者カレン・L・キング教授はローマで開催されたコプト学会で4世紀頃の古文書(縦4センチ、横8センチ)のパピルスに、「イエスは『私の妻は……』」と書いてあったと発表し、センセーショナルを呼んだことはまだ記憶に新しい。その内容が事実ならば、イエスが生涯独身であったと信じてきたキリスト教会は教義の大幅な見直しを余儀なくされる。

聖書研究家マーティン・ダイニンガー氏(元神父)にイエスと結婚問題について、「イエスが祭司長ザカリアとマリアとの間に生まれた庶子だったことは当時のユダヤ社会では良く知られていたはずだ。その推測を裏付けるのは、イエスが正式には婚姻できなかったという事実だ。ユダヤ社会では『私生児は正式には婚姻できない』という律法があったからだ」と説明する。

このコラム欄でも紹介済みだが、英国の著作家マーク・ギブス氏は著書「聖家族の秘密」 の中で、「イエスの誕生の経緯は当時、多くのユダヤ人たちが知っていた。そのため、イエスは苦労し、一部の経典によれば、父親ザカリアは殺される羽目に追い込まれた」と述べている(「イエスの父親はザカリアだった」2011年2月13日参考)。

イエスがユダヤ社会では正式に婚姻できなかったとしても、妻帯していた可能性は排除できない。3世紀頃に編纂された外典「フィリポによる福音書」には、マグダラのマリアをイエスの伴侶と呼び、「イエスはマグダラのマリアを他の誰よりも愛していた」といった記述がある。

それでは、イエスの伴侶として頻繁に登場する「マグダラのマリア」とは誰か。ダイニンガー氏は「マグダラという地名はイエス時代には存在しない。ヘブライ語のMigdal Ederをギリシ語読みでマグダラと呼んだ。その意味は『羊の群れのやぐら』だ。預言書ミカ書4章によれば、「羊の群れのやぐら、シオンの娘の山よ」と記述されている。すなわち、マグダラとはイスラエルの女王と解釈できる。そのマグダラのマリアはイエスの足に油を注ぐ。イエスは油を注がれた人、メシア(救世主)を意味する、イスラエルの王だ。イエスとマグダラのマリアは夫婦となって『イスラエル王と女王』となるはずだった」と指摘する。

ダイニンガー氏の見解が正しいとすれば、イエスは結婚し、イスラエルの王、その妻は女王となって神の願いを果たす計画があったが、選民ユダヤ人たちの不信仰のため十字架上で亡くならざるを得なくなったわけだ。だから、再臨のメシアは必ず結婚し、「王と女王」の戴冠式を世界に向かって表明すると考えられるわけだ。「イエスが結婚できなかった理由」2012年10月4日参考)。

マグダラのマリアがどのような人物として映画で描かれるか、今から楽しみだ。いずれにしても、世界に12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁から激しい批判が飛び出すことは間違いないだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年1月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。