薄れる核武装のタブー

2016年02月17日 12:07

昨年の6月14日、「集団的自衛権から核武装へ」というブログを書いた。当時は「まだ時期尚早だろう」と感じていた。

「上記のようなタイトルを見ると、極右的な、危なっかしい議論を展開すると思われるかも知れない」という冒頭の句にそれが表れている。「核武装論者」は「とんでもない極右論者」、というレッテル張りが普通だったのだ。もちろん今でも、その傾向は強い。
だが、わずか8ヶ月なのに今は、核武装論を「とんでもない極論」と見る空気が急速に弱まっている。そう感じないか。

ついこの間まで「集団的自衛権」を唱える安倍晋三首相への人気は弱く、どの輿論調査を見てもつねに「集団的自衛権」の容認しない声が過半を占めてきた。だが、それでも安倍政権への支持率は一定以下に下がらない。そこに中国や北朝鮮への脅威を感じている国民の姿が表れているが、北朝鮮の核実験、長距離ミサイルの発射以降、安倍政権支持率が上がっている。

これは核武装への拒否感の薄れと比例しつつある。と見るのは偏見だろうか。むしろ北朝鮮の核武装に脅威を覚え固唾を呑んで見守る国民が増えていると見るのが妥当なのではないか。

北朝鮮の核は米国まで射程距離に入っており、イザとなったら、米国は日本を置き去りにして逃げるのではないか。そんな不安が日本国民の頭の片隅に浮かびつつある。

それが大きな声にならないのは外務省がそうならないように注意しているからだ。大手メディアもこれに呼応して北朝鮮の不安について分析した記事を載せない。北朝鮮の核武装の本当の力、米国や極東アジアの政治・軍事・地政学的情勢について詳細に載せる義務があるはずなのに、だ。

彼らの姿勢は「由らしむべし知らしむべからず」の姿勢を出ない。「知らしむべし」を貫いているのはもっぱらネット論壇や売れ行きの悪い総合雑誌や週刊誌なのである。

しかし、時代は変わりつつある。例えば、日経の政治面に載った小さな記事--。安倍晋三首相は16日、米太平洋軍のハリス司令官に北朝鮮の事実上の長距離弾道ミサイル発射について、首相官邸でこう語った。

日本にとって直接的な脅威であり、米国への挑戦と考えてもいい。国連の場で厳しく対応していく。

この記事によって安倍首相が核武装を考えていると見るのは明らかに生きすぎだろう。だが、私はこう読む。

もし米国が日本を捨て置いて北朝鮮の脅威から逃れようとするのなら、日本は本気で核武装に舵を切る。それだけの覚悟を持って北朝鮮に対峙してもらいたい。

ハリス司令官に直接こう言わなかったとしても、その迫力を内に秘めて迫ったと考えたい。そう、私は安倍首相に期待している。

現実の核武装は冒頭のブログ「集団的自衛権から核武装へ」で書いた通り、
日本がドイツ方式の核シェアリングを提案し、これを当初、米国は何度も拒否しながら、最後は日本の要求を呑むという形で落ち着くのではにだろうか。

広島と長崎に原爆を投下した歴史を持つ米国は復讐を恐れて、日本にだけは核兵器を持たせないという強い意志を持っている。だが、もはやそうも言っておれない。

同シェアリングは緊急時に米大統領の承認を得たのちに日本が核兵器を譲り受けて使用する方式だ。「核の引き金」は米大統領が握っているので真の「シェアリング」とは言えないが、それでも緊急時には核を使える可能性を確保する効果は大きい。

そして、中国や北朝鮮の先制核攻撃を受けても、位置を発見されにくい原子力潜水艦が導入されよう。日本の場合、尖閣領域や沖縄が中国の攻勢にさらされても、米軍が全面には立たず、日本が先陣に立つ可能性が高いため、米国も受け入れやすい。日本の方が中国や北朝鮮の核攻撃に対して遠方の米国よりも真剣だ。

その日本の核武装が、北朝鮮や中国の危険な挑発を防ぐことになるのは間違いあるまい。

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