投機の社会的意義

森本 紀行

160223

梶山季之の小説「赤いダイヤ」の影響もあって、商品先物といえば小豆、小豆といえば「赤い魔物」というのが、ひとつの定着した商品先物に関する通念になっているようだ。なにしろ魔物だから、それはもう、賭博と同列の投機以外の何物でもない。


しかし、小豆の生産者の立場からすれば、商品先物は、安定利益を確保するための重要なヘッジの道具なのである。小豆の価格は、極めて大きく変動するが、生産原価のほうは販売価格に連動しないので、容易に原価割れの状況を生じる。しかし、先物を使えば、価格が生産原価を上回っているときに、先に売って利益を確定させることができるのである。

確かに、先物は、実物を介さない差金取引だから、ときに投機性を帯びる。しかし、先物は架空のものの取引ではないのである。あくまでも、実物の取引の特殊形態である。先物は実物でも決済できるからである。

実物で決済できる限り、先物の価格は実物の価格と連動する。だから、生産者にとって、ヘッジとして機能し得るのである。このようにして、小豆先物が社会的機能を果たす限りにおいてのみ、小豆先物を含む商品先物には正当性があるのである。

ここで、大きな疑念が生じる。先物市場における投機により、価格が乱高下することは、小豆の安定供給の阻害要因になるのではないか、小豆先物は、小豆生産の現場に対する攪乱要因として、むしろ反社会的なのではないか。小豆先物に限らず、全ての商品先物には、そうした危険な可能性があるのだ。

商品先物が社会的正当性を有するとしたら、生産者のヘッジ売りに貢献できる限りである。ヘッジ売りが集中すれば、価格は暴落してしまう。合理的な価格でヘッジ売りができるためには、投機筋の買いが必要である。ヘッジ売りが可能であるためには、投機資金の流入が必要なのである。

こうして、投機には、それなりの社会的意義があるのである。為替投機も同じだ。巨額な為替投機がなされているからこそ、実需為替も円滑に決済されている側面は、否定できないのである。

もしも、投機が社会的正当性を失うとしたら、過剰な投機資金の流入が価格の乱高下をもたらし、その結果、商品生産などの経済実体に影響を及ぼすときである。商品や為替をはじめ、市場経済は、投機という毒を巧みに利用できている限り、正しく機能するが、逆に、毒に利用されるとき、機能不全に陥るのである。ただし、これは、市場経済の本質だから、どうすることもできないのである。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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