文部科学省「デジタル教科書の位置づけに関する検討会議」に出席してプレゼンしたことは、以前お話申し上げました。
「デジタル教科書の位置づけはどうなる?」
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2015/08/blog-post_0.html
その際、あれこれ質問も受けました。ふうむ、みなさんこんな点に関心があるのか、全てを突破していくのは大変じゃわい、という思いを抱きつつその場で回答してまいりました。議事録から編集します。質問・コメント者はみな別の委員です。
Q 我が国における校内研究に対する海外からの評価は高いと聞きますし、私もそのように認識しています。そのような校内研究の方法や、それを支える教員、あるいは学校の研究風土、文化というものは、ある意味では、教科書が中核となって築かれてきたのではないか。
紙媒体の教科書が築いてきた我が国の授業研究の風土や授業のやり方について、どのように認識されていのでしょうか。それらを全部、デジタル化によって一掃するという立場なのでしょうか。
A 私も、日本の学校現場におけるこれまでの様々な取組、そして、先生方の能力、情熱といったものは、世界トップクラスではないかと思います。すばらしい技術、文化を作ってこられているのだと思います。
先ほど日本の教育現場のデジタル化、ICT化が後れているというデータをお示ししましたが、まさに、これまで100年以上培ってきた学校現場のすばらしい文化、体系といったものがあるからこそ、大きく変わるインセンティブが乏しかったのではないかと思っております。
教科書をデジタル化することと、校務も含めてあらゆる学校での仕事をICT化していくことは必ずしもリンクできるものではないと思います。しかし、少なくとも、これまで培ってきたすばらしい文化が、ICTを使えばより大きく高い方向に進化をすることができる。また、全国の先生方の力をもっと発揮できるようにできる。あるいは、それぞれの先生方が研究して作り出してきている教材などを共有しやすくできます。ICTは単なる道具ですので、道具の使いようによっては、良い方向に向けることができるのではないかと思っています。
当初、私たちが活動を始めた際、「君たちは紙の教科書をデジタルに置き換えるということをやろうとしているのか」と問われました。我々の主張としては、一切そのようなことはありません。紙には紙の良さがあり、デジタル、ICTにはICTの良さがあるから、お互いにとってより良い環境を整備し共存していけば良いと思います。
ただ、それはいつまでなのかという問いもよく受けたのですが、それは我々DiTTがいつまでと決めることではなく、現場の先生方、子供たち、あるいは保護者の方々が使う中で、長い時間を掛けて決めていけば良いのではないかという議論をしているところです。
Q DiTTは、デバイス、ネットワーク、コンテンツの三つについて目標を掲げています。やはり先生方がうまく使っていただいてこそ初めて価値がある一方、日本では利活用率が低いという現状があります。上記の三つに加えて、「デジタル教科書」を使用する場合のカリキュラム化、教員研修についてのどのようにお考えなのか、お聞かせいただければと思います。
A 我々が協議会として主張している端末、ネットワーク、教材の整備というのは、あくまで道具をそろえましょうということであり、実際にこれらが先生方にどのようにお使いいただけるのか、お役に立てるのかを考えるには、現場の皆さんと一緒に検証したり、改善を加えたりといったフィードバックにかなり力を入れて進めていかなければなりません。我々は民間企業の集まりですが、民間企業と学校現場との連携で進めています。
同時に、先生方からのフィードバックを全国の先生方に共有していただくということも大事だと思っておりまして、全国の、この分野に熱心な約100名の先生方に参加していただき、やっていることを教えていただいて、デジタル教材の改善すべき点も厳しく御指摘いただき、返すという繰り返しをしているところです。
ただ、もっとそれを広げ、その他の先生方にきちんと使っていただけるように支援することや、ICTの整備を補助することも重要だと思っているのですが、それは我々協議会だけでできる話ではないと思っていますので、他の団体や政府、自治体の皆さんと相談しながら、コストの充実などを図ってもらえないかとお願いしている段階です。
委員コメント
荒川区では、小中学校にタブレット端末を入れているのですが、どうやって授業を組み立てたら良いか試行錯誤しております。ただ、このことは、タブレット端末の導入やデジタル化をしないことの要因にはならないであろうと思っています。
現在、荒川区でも、教員が自主的に校内研修会を行い、また、校内研修会というほどではなくても、就業時に自主的に集まり、タブレット端末の使い方についていろいろな検討をしています。新しいツールを活用する当初は、いろいろと試行錯誤しながらやらなければならないところがありますが、「デジタル教科書」の良さをより生かした形で、生徒がより理解しやすくするための、発展期といいますか、準備段階なのではないかと思っています。
Q 海外における「デジタル教科書」の形状・形態はどうか。
A 申し訳ありません。私たちはその情報を持っておりません。
諸外国における「デジタル教科書」又はデジタル教材の整備状況を文部科学省に何度か聞いたことがありますが、それぞれの国により制度や位置付けが違うということもあり、統一的な比較は難しいという説明を受けています。
各国調査、現状把握も非常に重要なテーマになってきていると思っておりますので、私たちも協力しながら、きちんとしたデータを共有して議論が進むようにしたいと思っています。
Q DiTTの考えている「デジタル教科書」とはどこからどこまでを言っているのか、端末まで含むのかなどについて、今一度正確に表明いただければと思います。
A 「デジタル教科書」を協議会の中で正確に整理し、定義したことがありませんので、私個人の認識なのですが、端末と、ネットワークと、教材、つまりコンテンツは別物なのだと認識しております。
それから、当初、ネーミングについてひともんちゃくありました。最初、「デジタル教科書協議会」ということで発足をさせようとしたのですけれども、デジタル教科書の存在に疑義もあり、「教材」という文言を入れたという経緯もありました。
その認識は、実は正式には「デジタル教科書」なるものは存在していないのであろうということです。つまり、法律上の定義で言う教科書の中に、デジタルの教材というものは、紙の教科書をデジタル化したものであっても存在していないというところです。
これから活動を進め、広がったところでデジタルも教科書として正規化され、制度の中に組み込まれて、ようやく「デジタル教科書」というものが出来上がるであろうということで、私は、世の中にあるのはデジタル教材であり、それを学校現場でお使いになっているという認識であり、「デジタル教科書」は目標として掲げている、と考えていただいた方が正確かと存じます。
Q 教科書となった場合には、学ぶ内容と、その質が検定などによってきちんと保証されたものというものであり、一方、デジタル教材は、チェックのようなものは通っておらず、学習に寄与するものであれば何でもデジタル教材と言えるのではないかという気もするのですが、「デジタル教科書」とデジタル教材というような住み分けを考える場合、違いとして、質的・内容的な保証のほかにはどのようなものが考えられるでしょうか。
A これも私たちの中で随分議論がありまして、例えば紙の教科書をPDFにしたものが制度に組み込まれたら、それも「デジタル教科書」と呼ぶのかという議論がございました。それも「デジタル教科書」と呼ぶのでしょうが、それによって教科書の質、あるいは教育の質が高まるかというと若干疑問があります。
紙の重さを軽くするという効果はあるかもしれませんが、それ以上のものではないということで、デジタルあるいはICTの良さを生かして、紙ではできないような性能を持ち、かつそれが制度的にきちんと整理をされて、検定なども制度的にクリアされ、措置されたものを「デジタル教科書」と呼ぶことになるのではないかと感じています。
委員コメント
このようなことを進めようとすると、それに対する不安というのは必ず起こりますが、推進しようとする方と、それを止めようとする方の持っているイメージが全然違うことがあります。
デジタル情報機器を持っている中でも、ノートを使ったり、鉛筆を使ったり、様々な活動の中でデジタル機器を含めて使っているわけであり、そういったイメージで推進するのだと思います。
しかし、反対する方、不安に思う方は、教育活動や、あるいは教師や生徒が「デジタル教科書」に制約されるのではないかというイメージを持ちやすく、特に教師の場合はそうだと思います。
そのような、0か1かという極端な考え方ではなく、推進する方も、いかにしてそれを自然な形で推進していくかということを考えているわけですので、不安に思う方もそのようなことを理解していく必要があると思います。
私自身、学校の中で推進する方ではあったのですが、学校の中には教師の都合があり、その一方で生徒の未来があります。
これは対抗するものではないと思うのですけれども、今の学校には全国から見学者がいらっしゃるのですが、話を聞くと、教師の都合の方が非常に肥大化しているのではないかと感じます。生徒たちの未来が余り考えられていないのではないかとも考えます。ですから、余りにも教師の不安といったものにこだわり過ぎるのも、結果的には余り良くないのではないかと思います。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年2月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。