人工知能の行きつくところ

先日、高校のクラスメート達とカラオケに行ったのですが、面白おかしく語られたのが「分析機能」「採点機能」です。今さら珍しくはない採点機能もこのところオプションが充実し、採点だけでも7-8種類から選べるようになっています。精密な分析ですと音程のみならず、あらゆる角度から数値化したデータを突き付け、歌唱力を評価するようになっています。

NHKの「のど自慢大会」は審査員が鐘を鳴らすというマニュアルな感じが味を出していますが、あれを機械で自動的に判断するようにしたらどうなるでしょうか?のど自慢の面白さとは仮に下手な出場者でも熱唱している人には長く歌わせたり、鐘三つの人でも面白くないとすぐにキンコンカコン…となってしまう審査員の独断と偏見が楽しいのであります。機械化が進むとこのあたりの「個性」はどうなるのでしょうか?

最近の人口知能(AI)は深層学習(ディープラーニング)をする第三世代を迎えているとのことです。とすれば、人間のような個性をもつAIも登場するということでしょうか?このブログもAIによる偽物が書く時代すらさほど遠くない気がします。

囲碁の勝負、アルファ碁とイ セドル氏との対局が大きな話題となっています。5局勝負のうち3局をストレート勝ちしたグーグルの人工知能に対していよいよその能力を認めざるを得ないという時代を迎えたように思えます。この人工知能の優れたところは人間の様に疲れを見せないことでしょうか?24時間使いっぱなしでも働くその効率の良さ、仕事のムラがない点に於いて恐ろしいほどの能力を発揮する気がします。

その時、人類はより幸せで平和な社会を築くことが出来るのか、これには多いなる疑問符がつきます。

世界で膨張する人口70億人の最大の懸念とは何でしょうか?食糧危機と言いますが、私は食糧より個々の人間がより高等の教育を受け、高いレベルの職業につき、ひいては努力すればより高い賃金を貰えるという経済の根本を打ち崩すのではないかという点です。AIを搭載したロボットやコンピューターは作れば無限に生み出すことが出来ます。つまり、職業という枠をロボットが奪う構図が想像できないでしょうか?

これは中間層の没落をも意味します。この手の書籍も多数出ていますが、これは既に始まっているともいえます。例えば配車サービスのウーバは誰でも白タクになれるというよりも客が何処にいるか瞬時に見つけ出す効率化を追求している点が脅威であります。タクシー運転手は明け方の3時、4時になるとエンジンをかけたまま、仮眠をとり、起きたら帰社している人も多いようです。このようなサボりがウーバシステムですとなくなる訳で、サボる運転手を排他してしまうのです。

これは普通の会社の社員にも影響があるかもしれません。就活の面接。人事部員だけでは足りず、人をかき集め面接に臨む一方、人が人をわずかな時間で判断する以上どうしてもムラが出ます。好印象、目立つなどの就活の虎の巻が今の時点では有効です。これをAIロボットが判断するとすればどうでしょうか?面接官の横にAIロボットが一緒に「座り」、面接した人物像を瞬時に分析し、数値で評価したら人間の面接官の判断能力は不必要になってしまいます。

定義の問題はありますが、個人的には世の中の99%は中間層かその下だと思っています。つまり、今後生き残れるのはコンピュータを使う人、修理する人、コンピュータに使われる人であり、それに逆らうと冷や飯を食うともいえます。これは恐ろしい社会で多分、世界のあちらこちらから反コンピュータ社会を築く動きも出てくるはずです。

バンクーバーからさほど遠くないところにかなり人間チックな生活を営んでいる島があります。そこに住む人たちは物々交換に近い経済、島民の作り出す強力なコミュニティがベースで正に人間が人間らしい生活をするようです。そこには搾取もなく、99%と1%の違いもないのでしょう。このような社会が復権する余地も当然出てきます。

日本は機械化が進み、それが当たり前のように進んでいきます。が、車座に座ってあぁでもない、こうでもないとやり取りする社会の価値観にも再び陽が当たるのではないでしょうか?「効率化」とはAIロボットに任せ、人間はケセラセラの人生になるのでしょうか?厭世観ばかりではつまらないですね。

では今日はこのぐらいで。

 

岡本 裕明「外から見る日本、見られる日本人」16年3月15日付