「京都市役所用語としての【説明不足】」考

若井 朝彦

京都市議会に陳情をし、また請願を準備している関係で、ときおり市議会のネット中継を見ている。すると繰り返しあらわれて、気になることばがあった。

【説明不足】

である。かなり癖のある使い方をしている。理解するまでにやや時間が必要だった。京都ではこの年初に市長選があったのだが、【説明不足】は、この機会に市役所、市議会の外に出て、いよいよ活動の場を拡げたようである。無論、これは望ましいことではない。

十年ひとむかし・市役所前の日曜日_800
(市役所前の日曜日・ひとむかし前の2006年ごろ)

京都市役所や京都市議会では、この【説明不足】またはその語幹 ?【説明】に、種々の修飾を施して、かなり複雑な表現を可能にしている。

たとえば市長が「この件については、説明不足でした」と言ったとすると、これは
・・・その施策については、関係者の理解が得られず、進捗していない
ということである。

部長局長が「今後説明をしていく」と言ったとすると
・・・その施策については、継続する
ということである。

与党議員が委員会で「説明しっかりして下さい」と棄てゼリフで言ったとすると
・・・その件は会派として賛成はしたが、問題が発生している。あとは市が責任をもって始末するように
といったニュアンスを含む。

中間派の議員が「そんなことは市がきちんと説明すれば済むことだ」というのは
・・・仕事がいいかげんで中途半端だ
という意味のようである。半分与党のスタンスを維持しながら、けれども市に可能な限りケチをつけているのであろう。

「この問題について、市長が直接住民に説明する意志はありますか」
と直接市長に問うた別の中間派議員もいたが、京都市議会の【説明】の用法からすると、これは進行中の計画についての反対宣言とほぼ同義。ほとんど市長の責任を追及しているといってよいのだが、とはいえ、なんとも間接的な反対ではある。

この【説明】云々を用いて議論するというのは、他の議会でもやっているのだろうか。しかし問題はどうして【説明不足】という表現が、京都で活躍するかということである。

そもそも市側が、ことの発端から、しておくべき説明をしていないケースが多いのである。

市役所の持っている情報と、地元の京都新聞や市議会議員の持っている情報をくらべると、後者の方がいくらか分が悪い。したがって市側が議案を提出する際には、「説明」というものが、市議の質問をかわすに充分な程度に止まる傾向がいたって強い。

だが最悪なのは、外部に対する説明不足の習慣が、市役所自身による計画の事前検証の不足をも惹起しているということだ。

それが集約的にあらわれたのが、四条通の車線減少における大混乱である。

工事がはじまって車線が減少するとすぐに、文化的にいって、また商業的にいって、京都筆頭の中心道路である四条に、当初説明とはケタが二つほども程度の違う渋滞が発生するようになったが、この案件に賛成した会派は容易に反対には転じられない。ゆえに「なんとかしろ」「とりやめろ」と、市長にダイレクトに言うことはできず、

賛成会派「今後、住民に説明するように」
市長「事前の説明が不足していました」

といったような、市民にとっては理解のむずかしい、愉快ならざる小芝居が展開されるわけだ。こんな言葉のやりとりだけで問題が解決するはずもなく、本当の勝負はここではつかない。

この車線減少(歩道拡幅)の計画は、東山通に第二期工事が予定されていたのだが、新聞によると、与党はこの第二期問題を市議会のリングから場外に持ち出して、時間外取引で計画の中止にもっていった、ということらしい。

しかしこれは市や市議会だけの問題ではない。市政選挙では投票率が慢性的に40%前後。このモチャモチャした状況はこれにほぼ応じているのだと、わたしは考える。

 2016/03/27
 若井 朝彦(書籍編集)

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