日本経済の再生に小手先の施策は効かない

japanshrink

クルーグマンを始めとする海外の著名な経済学者が最近次々に官邸に招かれて、異口同音に「この時点での消費税増税は好ましくない」と言っているらしい。もし「増税のタイミングについてどう思うか」と聞かれたら誰でもこう答えるだろうから、いわば聞くまでもない事を聞いているとも言える。折角大物の経済学者達を招いたのなら、「長期的な財政健全化の方策」を含めた「日本経済全体の見通しと対策」について聞いて欲しかった。

私は経済学者ではないが、「経済政策については自分の意見は持たない」というわけにはいかないから、今回はこれについて一言いわせて頂きたい。しかし、お読み頂ければ分る様に、ここで私は、経済問題にかこつけて、実は教育や社会問題について語っている。若干ユニークな視点だと思うので、最後までお付き合い頂ければ有難い。

増税延期や財政出動は将来へのツケ回しだが、「それ以上の心配」の前では些細な事のように見えてしまう。

安倍首相は盛んに否定しているが、私は「増税延期」は現状では避けられないと思っている。将来の財政破綻の最大の被害者である現在の子供達には選挙権がなく、今すぐに票の欲しい政治家は与党も野党も誰も反対しないだろうからだ。それ以上に、安倍首相は「サミットで欧米諸国に協調を迫る為にも、早い時期に財政出動をする」事を考えているだろう。増税延期と同じ理由で、これに抵抗するのも難しいだろうから、「財政規律」はこうして果てしなく犠牲にされていくだろう。

しかし、私は、最近はこういった事態に悲憤慷慨する気には最早あまりなれない。それは、下記の理由により、日本経済は、何れにせよ「抜き差しならぬ局面」に追い込まれるだろうと思うに至っているからだ。

  • 米国の大統領選挙では何が起こるか分からず、どちらに転んだにせよ「保護主義」が前面に出てくるだろう。TPPも霧散してしまうかもしれないし、米国はなりふり構わず、あらゆる局面で日本に経済的な負担の増加を迫ってくるだろう。円安基調にも政治的圧力がかけられるかもしれない。
  • 「税と社会保障の一体改革」も「一億総活躍」も、全て遅々として進んでおらず、高齢化社会への有効な対策が定まらないままに、年金制度の破綻は今や秒読みの段階に入りつつある。しかし、政府も国民も、「茹で蛙」の状況から自ら脱する事は出来ず、このままでは、「財政破綻」より一足早く「社会保障体制の破綻」が訪れるだろう。
  • 「成長戦略(第三の矢)」は掛け声だけで、何時になっても具体化しないだろう。既得権者は何時迄も居座り、官僚も企業経営者もこれまでのやり方(因習)からなかなか抜け出せず、労働の流動性も促進されず、従って、産業の国際競争力は引き続き徐々に弱まっていくだろう。

(そして、そのうちに資源コストが底打ちすると、再び「経常収支の赤字化」が懸念される事態となり、国債保有の外人比率が高まると、「或る日、突然訪れる財政破綻」の可能性も高まるだろう。)

八方塞がりで暗い気持ちになるが、これを防ぐ手立ては最早ない様だ。日本は「一旦極限まで追い込まれた後でやり直す」しかないのだと思う。

先ず手がけるべきは「人間の競争力」の強化

それでは、「将来のやり直し」を可能にする為には、今何をしなければならないかといえば、私は、先ずは「人間の競争力」を高めておく事だと思っている。

現在の日本の大会社の企業文化は、概ね無反省なままに腐ってしまっているかの様だから、日本企業全般の国際競争力をこれから高めていくのは至難の技であるような気がする。しかし、これから心を入れ替えて、日本人の「人間としての競争力」を高めていけば、どんな時代になっても挽回が可能だろう。それには教育システムの抜本的改革が必須だ。それしかない。

人間というものは、現状が極端に悪いと思い切った改革が出来る様だから、今は大改革のチャンスかもしれない。現在の日本の高等教育(特に文系の大学)のあり様はそれ程に悪い。「大学教育の目的はなにか」という基本的な問題を見失ってしまったのではないかとさえ思われる程だ。しかし、という事は、この目的をもう一度問い直し、それを明確にさえすれば、大改革への道は自ずと開けると言っても良いかもしれない。

高等教育を受ける目的は、要言すれば、「真理を追究し、人間の生活を物質的にも精神的にもより良いものにする為の、基礎的な知識と能力を身につける」事にあると言って良いだろう。具体的には、それぞれの学生が、「この世界がどういう仕組みで成り立っているか」を理解し、「人間というものがどういうものであるか」を理解し、その理解の上に立って、それぞれの分野で「自分が何をすべきか」を考えられる様になる事だ。しかし、現在の日本の大学教育の実態を見れば、これとは程遠い状態に留まっているのは明らかだ。

大学がやるべきは、「個々の教授が、誰に批判される事もない場所で、学生達に自分の知識や考えを滔々と語り、ノートを取らす」事ではない筈だ。ネットが成熟期に至ろうとしている現時点では、種々の知識や思想は簡単に入手できる。海外の大学の著名な教授の講義でさえ無料で聞けるのだ。大学がやるべきは、学生達をナビゲートし、彼等の討論をコーディネートし、彼等の相談に乗ってやる事だ。

一方、学生達が涵養すべき能力は、「観察力」や「読解力(書かれている事を疑う能力を含む)」、「論理的思考能力」は元より、「多くの事象や言説の中から本質を抽出し、それに基づいて自らの仮説を立て、その正しさを実証する」能力である。次世代を担う多くの若者達がこの様な能力を持てば、将来の国家運営も事業経営も、正しく行っていく事ができるだろう。いや、今その任にある働き盛りの大人達も、もう一度この観点に立って、自らの仕事のやり方を真剣に見直してほしい。

今すぐにやるべき「社会基盤の堅牢化」

具体的な教育のあり方については別の機会に詳説したいが、何れにせよ、成果が出るのは気の遠くなる程先の事だ。しかし、その前に、今の日本でもすぐやれるし、やるべきだと思う事もあるので、今日はその事についても触れておきたい。

それは「社会基盤の堅牢化」とも言うべき事だが、これは、安倍首相の提唱する「一億総活躍」とも軌を一にするとも言える。現在の社会基盤の中で圧倒的多数を占める高齢者が遊んでいたり、高い能力を持った女性が育児や年長者の介護に忙殺されていたりしては、日本全体の社会基盤が極めて脆弱なものに留まってしまわざるを得ないからだ。

この点で、先に述べた「財政破綻より前に年金制度の破綻が起こる」事には良い面が一つだけある。何も知らぬ子供達に突如破局が降りかかる前に、逃げ切れると期待していた高齢者達が破局の矢面に立つ事になるからだ。これは現在の世代間の「不公正」を若干は和らげる事になる。

平たく言えば、現在「高齢者」と見做されている人達の多くは、まだまだ仕事ができるし、本人達も心の中では仕事をしたがっているのに、制度や社会の慣習が彼等をのんびりさせ、現在と将来の勤労世代の支払う社会保険料の上に胡座をかかせているのだ。

しかし、高齢者が若い人達の仕事を奪ったり、重要なポジションに居座ったりしては、マイナスの方が多くなるから、先ずはこれまでの年功序列的な考えを根底から変える事から始める必要がある。という事は、高齢者に「少し寂しい思いをしながら働け」という事であり、高齢者は面白くはないだろう。しかし、国にそれだけの金はもうないのだから、我慢して貰うしかない。

女性の能力のより一層の活用については、既に多くの事が言い尽くされているから、これ以上言う事はあまりない。働く女性に対して、物心両面で万端まで配慮の行き届いた施策を行えば、これはそのまま少子化対策にも繋がるだろう。

「保育所落ちた。日本死ね」という「乱暴で手前勝手なブログ記事」が、思いがけぬ程大きな政治問題にまで発展した理由としては、私の様な穏健な一社会人までが、これにあまり反発もせず、何となく共感を覚えたという事実がある様な気がする。実際問題として、以前から何度も指摘されながら、対応が遅々として進んでいなかった「お役所仕事の実態」に対する怒りは、それ程までに大きかったのだ。

この事が、実は今回の記事のポイントの一つでもある。日本の経済を根幹から立て直すのは、高邁な経済理論ではなく、「やるべき(当たり前の)事を、迅速にきちんとやる」という為政者と国民の基本姿勢にかかっているという事だ。教育問題を含め、今本当に求められているのは、大袈裟に言えば「日本人の精神の革命」だ。それなくして、日本経済の再生はない。