テスラに学べば日本の「商社」は駆逐されない

松本 徹三

4月25日にNick Sakaiさんという方が「テスラが自らバッテリーの販売を始めるので、日本の商社は駆逐される」という趣旨の記事を出され、多くの方々が興味を示されている。私はこの記事は良いポイントをついているとは思うが、「日本の商社が駆逐されることはない」と思うので、今日はその事について少し書いてみたい。

私は「駆逐されることはない」と申し上げたが、それには勿論条件がある。「ゼネラリスト偏重をやめてもっと社員の専門性を高め、テスラの創業者の様な斬新な発想ができる指導者を育成すれば」というのが条件だ。

エネルギーや金属資源の価格が下がったので、収益性の多くをこれに依存していた大手商社は軒並みに巨額の損失を計上した。しかし、これで会社自体が破綻することはなく、新卒の就職先の人気は引き続き極めて高い。

およそ「総合」と名のつくものは、投資家から見ると何に投資しているかがよく分からず、所謂Conglomerate Discountというものが働いて、株式市場では実力より低い評価しか受けられないのが普通だが、「各分野間での相互ヘッジが可能な為に破綻リスクが少ない」というメリットもある。最悪の状況下でも破綻リスクが少ないという事は、日常の大胆な施策が可能であるという事も意味する。

こういう事も考慮に入れながら、長い間日本の産業の国際化をリードし、今でも若干はその役割を果たしている「日本独特の総合商社というものの」の将来像について、あらためて考えてみる価値はあるだろう。

「総合商社」の理想像

私自身1962年から1996年迄の34年間伊藤忠商事に勤務していたので、少しは内情が分かっている方だと思うが、1996年に退職して独立した時から今日に至るまで、自分の考える「商社の理想像」というものは全く変わっていない。

「長所を生かしつつ欠点を克服するにはこれしかない」という思いが自分には強いのだが、結構大胆な構想なので、昔は言い出す勇気さえもなかったし、今もその妥当性と現実性を疑う向きは多いだろう。しかし、そろそろ自分自身がこれから生きている期間も短くなってきたと思うので、この際、一応「こういう考えもある」という事を披露しておきたいと思い立った。

  • 全組織を「小さな本社」と数百社の「子会社」に分ける。子会社は大きなものから小さなものまで多種多様であってよい。無用な階層組織は排除し、全ての「子会社」はそれぞれ独立して「本社」の連結対象とする。
  • 本社機能の主たる機能は「子会社及び新規分野等への投融資」であり、それに「監査」「人事」「法務」「相互連携(各子会社の統合・分離を含む)」「海外活動支援」等の若干の機能を付帯させる。
  • 「本社」のCEOには有能な財務テクノクラートをあて、世界の産業経済の動向を俯瞰的に把握し、各産業分野や業務形態の間で相互にリスクをヘッジしながら、株主に常に安定した総合ROEを保証する様に要請する。
  • 各「子会社」のCEOには、それぞれの分野に骨の髄まで没入し、卓抜した先見性を磨き、しばしばパラノイヤの境地にまで至る事を求める。「本社」の保証機能を最大限に利用してEquity比率を極力下げ、ROEを最大化する様に求める。(「子会社」のCEOは自らオプション株を持つので、「本社」のCEOをはるかに超える収入を得るに至る事が、当然頻繁にあり得る。)

しかしながら、この観点から各総合商社の現状を見ると、状況は相当に異なる。

  • 専門性を極める事に対する人事的インセンティブに欠け、この為、多くの有能な社員がゼネラリスト志向になり、その結果として、多くの産業分野では、常に主たるプレイヤーに対する従属的な立場に甘んじる状態になっている。(これでは、投資対象の選別においても、投資先の経営においても、「自らの先見性」というものが十分発揮できないという問題が生じる。)
  • 内部の階層が過大なので、意思決定に時間がかかりすぎる上、コスト構造も非効率とならざるを得ない。

私は、自分自身が商社出身である事もあって、世界に例を見ないこの企業形態になお愛着が捨てきれずにいる。一日も早くこのような致命的な欠点を是正し、多くのアントレプレナーや経営者を育て、この人達を緩やかにEmbrace(包含)する「Fundを超えるFund」へと、徐々に脱皮して行って欲しいと密かに願っている。

具体的な方向性

流通小売分野を筆頭に、都市システムや交通システム、余暇産業やエンターテイメント産業の分野、更には医療や教育関連の分野でも、多くのパラダイムシフトが起ころうとしている現在、商社が活躍できる分野には事欠かない。そして、こうした新分野の殆ど全てが、情報通信技術と深く結びついている事に注目すべきだ。。

情報通信分野では、かつての商社は一時期相当積極的な姿勢を見せた事もあったが、現状ではあまり目立たない。かなり成功した事業でも早い時期にキャピタルゲインを取り、撤収してしまっている。恐らくは、パラノイヤ型の人達が社内での信頼を勝ち取れなかったからだろう。

今回Nick Sakaiさんが例に挙げたEVの分野でも、バッテリーなどの主要コンポーネントの供給体制のみならず、日本の商社ができることはたくさんある。

これまでの自動車産業は、長年にわたる技術開発の積み上げと精緻な製造システムの構築が必要だったので、部外者がトヨタ自動車などの牙城に肉薄することは全く不可能だった。また、その一方で、トヨタ自動車などの大メーカーは、世界各地での販売体制の整備に、商社の力などは殆ど必要としなくなっている。

しかし、EVの時代になると、部品を組み合わせるだけで自動車そのものはかなり簡単に出来てしまい、むしろ「電力の供給システム」や、「情報通信技術を駆使した運行管理システム」などによる差別化が進むだろうから、テスラの様な斬新な発想を持った全く新しい会社が、瞬く間に業界のメインプレイヤーに成長する可能性も相当高い。

また、日本の自動車産業は、現状では「水素システム」に過度に傾斜し過ぎているのではないかという危惧もあるので、「取り敢えずの主要市場を日本とする」という考えをきっぱりと捨てて、開発拠点はむしろどこかの発展途上国に移し、始めから世界市場を対象にする事を考えるべきかもしれない。

これは一例にすぎないが、全ての鍵は発想の転換にある。日本の総合商社は、今なお、世界の産業経済の重要な一角を占める潜在力を秘めていると私は思っている。