押しつけ憲法かどうかは無意味な議論

2016年05月02日 15:40

「日本人の知らない日米関係の正体~本当は七勝三敗の日米交渉史」 (SB新書・5月7日発売)という黒船来航から安倍・オバマの時代までを扱った本を書いていて、改めて憲法制定当時の状況について考えてみた。

そこでの結論は、憲法が押しつけであるかどうかは、あまり意味のないということだ。マッカーサーは、天皇制の存続、昭和天皇の責任を問わないことを了解し、一方で、平和国家で民主主義的な日本にすることを自分の業績にしたいと思っていた。

そのためには、そのままとか微修正ではすないと考えたし、昭和天皇も含めた日本側も仕方ないと思って受け入れたと言うだけだ。

原案を誰が書いたかなどどうでもいいことだ。それを言い出したら、明治の諸法典でも外国人顧問が起草している。

改正案は国会で審議され承認されたし、昭和天皇や政府も了解したのだから押しつけと決めつけるのはおかしい。ただし、GHQが原案をつくったことを秘密にしたのはルール違反だ。

また、厳しすぎる改正規定は、ある世代の意向なり時代的雰囲気が将来の世代を過度に拘束できるかという憲法論としての根本問題を含んでいる。

そこで、提案だが、護憲派は改憲派の提案を両院の三分の一でブロックなどせずに正々堂々と国民投票にかけることを受けて立ったらどうか。

一方、改憲派は、たとえば公明党やおおさか維新、民進党のかなりの部分が反対しようがないような、現行憲法を尊重し、温和な内容で、改正規定の緩和を含んだ改正案を、10年くらいは根本改正しないという約束で出せば良いのだ。(第九条についてはあらためて)

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学大学院教授

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