1985 猛虎がひとつになった年

中村 伊知哉

鷲田康さん「1985 猛虎がひとつになった年」。

1985 猛虎がひとつになった年 (Sports Graphic Number PLUS)
鷲田 康
文藝春秋
2015-09-17

 

あの年をまるごと追体験できて、そうだったのかという発見もあり、じんわり熱くなります。

30年前のできごとは、虎ファンの生きるよすがでありますが、他のかたがたにも参考になるのでありましょうか。そんなこと知らんわ。虎ファンは閉じてますんで。好著です。

1985。
物心ついてから20年優勝はなく、その後も18年優勝はなく、そして唯一の日本一となった年として輝くのであります。

虎ファンとは。
巨人に全勝すれば他試合は全敗でもよい。
ダブルプレーとろうものなら「すごいなぁぼくらにはできひんなぁ」とホメる。
でも甲子園で負けると(当時は持込みOKだった)ビンを投げる。
そんな鬱屈した思いを、生涯に一度、昇華した年であります。

巨人はシュッとしたはりました。
こっちは掛布、岡田、佐野、平田ゆうて松竹新喜劇ばりにへちゃむくれな兄ちゃんたちです。
1985は、対東京だけでなく、イケてへんみんなの絶叫みたいなもんやったと思います。

1985。
ぼくは通信自由化、NTT民営化の激動の中で泥まみれ。生涯で一番忙しかった。
仕事のピークと虎のピークとが重なったのは、当時はなかなか試合が見られないから残念でしたが、今は、この上ない山場をいただいたと感謝しております。

それでも、バックスクリーン3連発もリーグ優勝も日本一も、手を休めてテレビで見ました。
もっとサボって抜けだして後楽園、5/20の巨人戦、5-0で負けていたのを佐野の代打逆転満塁本塁打と真弓の2ランでひっくり返した左翼スタンドで、「今年はイケるで」と叫んだのが私的な思い出であります。

夏、一日ばかり帰省して、新大阪から戻るホーム。虎の集団が死のロードに出発するところでした。役所の同期、大阪出身の木越くんと、バンザーイバンザーイと見送りつつ、自分たちも同じひかり号に乗り込み、車内で気を送り続けたのも私的な思い出であります。

そういえば。17年前、「マックユーザーは阪神ファンと同じだということに気がついた。」という文章をマックパワーに書いていたことを思い出しました。

今や誰もがiPhoneユーザで巨人ファンのような顔をしているが、以前はマック使いは日陰者だったのであります。

読み返してみましたが、バカな文章であります。
http://www.ichiya.org/jpn/column/macpower/22.html


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。