「世界内戦」の時代:『暴力と富と資本主義』

池田 信夫


戦争といえば主権国家が宣戦布告して行なうものということになっているが、実際にはそんな戦争はほとんどなかった。第一次大戦も日中戦争もベトナム戦争も「偶発戦争」だった。そして今、中東やアフリカで続いているのは、近代以前の内戦に回帰するテロの応酬だ。

カール・シュミットは20世紀後半の戦争がこのような世界内戦になることを予想し、それを国際法や軍事同盟で防ぐことはできないと論じた。なぜなら主権国家とは「内戦を非合法化する制度」だが、今や国家の主権(sovereignty)が自明ではないからだ。

本書は国家が「暴力の合法的な独占」(ウェーバー)だという定義から出発し、そういう古典的な国家が成り立たなくなり、「戦争の民営化」が進行している世界を概念的に把握しようという試みだが、残念ながら「土建国家」の批判や「構造改革は利権だ」といった常套句で国家を批判したつもりになっている。

いま起こっている国家の変容は、国家が単なる暴力装置ではなく、人々の生命まで支配する巨大な生政治の装置になりつつあることだ。その蕩尽の最大の対象は土建事業ではなく、国民の保育から介護まで徹底的に管理する社会保障である。

かつて資本が搾取装置だったとすれば、いま最大の搾取装置は、社会保障という名によって1000兆円を超える富を強制的に移転する国家だ。このように生政治が福祉国家から分配国家に変容したことによる格差は世界中で問題になっているが、日本はその最先端である。そこからオフショアに逃れることができるのは、皮肉なことにもっとも豊かな人々だ。

こうした格差に対する反抗が世界内戦だが、そこでは主権国家も軍事同盟も安全を守ることはできない。朝鮮半島で内戦が起こったら、日本に数百万人の難民が押し寄せ、内戦が始まるかも知れない。そういうリスクを無視して、憲法9条を唱えていれば救われると信じている人々は幸福である。