ニューメディアの立役者、小林樹さん

昨年7月に亡くなった元JCTV社長・小林樹さんの追悼記事を読む。CNNを配信する会社をテレ朝から立ち上げ、そこから制度の壁に大穴を開けて衛星放送の産業を作った先人。母親と同い年です。尊敬しています。

小林樹さんには80年代後半、ぼくが役所でCATVを担当した時、まだ米国から受信したCNNをビデオテープで全国のCATVにトラックで運送!して放送していたころに会いました。ぼくは20代、係長でした。通信衛星CSが打ち上がり、これで全国配信するぞと。ああ、ニューメディア。

CNNをCSでCATVに送る事業は、通信。これを家庭のパラボラで直接受けると、放送。当時はこの放送は違法でした。政府・郵政省はこれを禁止していました。でも技術的には簡単。ぼくは当然、規制緩和派。小林さんらとともに、制度改正の運動を起こしました。

これが通信じゃなくて放送になれれば、全国の映像プロダクションが放送局になれます。これは1957年田中角栄郵政大臣の民放大量免許以来の大コンテンツ政策になります。そう思っておりました。

とはいえ、放送の制度です。岩盤です。怖ろしいです。与党、野党、NHK、民放、電通、メーカー、アメリカ、いろんなセクターが絡んできて、エラい目にあいます。実際、エラい目にあいました。独身だったので、無茶もできたんだと思います。

同じころ、ハイビジョンとか地デジとかを巡り、ヘタなことを言った郵政省幹部の自宅にひし形のバッジが置かれていたとか、笑えない話はたくさんありました。ぼくはぺーぺーなので気楽でしたが、規制緩和をする官僚は、そういう身の危険と一体なのです。今は知らないけど。

小林樹さんとは、赤坂でさんざん飲みました。おごってもらいました。今ならつかまります。住商や伊藤忠や電通の、自分の親と同じくらいのオッサン連中と毎晩のように飲んでました。その多くは早死にしています。寿命を縮めました。みなさんすみませんでした。

あのころ、小林樹さんも電通の松平さんもプラットイーズ隅田さんもぼくもみんな、互いに何言ってるかわからなくなるまでマズいコニャックの水割りかなんか飲んで、柿ピーしかなくて、ヨコに座るネエちゃんを無視して規制緩和の話ばかりしてました。泣くほど楽しかった。

あれやこれや仕掛けました。大小の失敗があり、小林さんは苦労されました。だけど結局、その突破力で、政府・郵政省は大きな制度改正に動きました。与党、野党、NHK、民放、電通、メーカ、アメリカ、いろんなセクターを動かしました。小林樹さんは。

途中ぼくは登別郵便局長に転出しました。やり過ぎて飛ばされたと業界では話題になりました。ぼくはよく働いたごほうびだったと思っています。スペースシャワー開局式に郵便局長として出席したり、小林さんの仕事に間違った記事を掲載した噂の真相に抗議したりしてました。若かった。

CSでCNNやスペシャや釣りや競馬やエロいの、チャンネルばっかり多くてつまんねえなとか、ネットのほうがいいじゃんとか、そんな感想を抱けるのも、小林樹さんらパンクな先人のおかげです。この30年がなかったら、ネットやスマホ時代になってもこんな映像文化はなかったよ。

てことで、小林樹さん、ありがとう。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年6月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。