今年は「夏のない年」から200年目

今年は「夏のない年」(Year without a summer)から200年目を迎えた。北欧、米国・カナダなど北半球全土を覆う異常気象が発生し、農作物に大被害をもたらし数万人の飢餓者が出た「1816年」のことだ。

当時は異常気象の原因が不明だった。人々は恐怖と終末感に襲われた。1920年に入り、「夏のない年」の1816年の異常気象の原因が明らかになっていった。それによると、1815年4月のインドネシアのタンボラ火山(Tambora)の大噴火で噴出した火山灰が気流に乗って北半球全体を覆い、それが太陽の活動が低下した時期と重なって異常気象をもたらしたというのだ。

独週刊誌「シュピーゲル」(5月28日号)は文化欄で「モンスターの誕生」というタイトルで4頁にわたって「夏のない年」1816年の文化的影響について特集していた。歴史家たちは「1816年のタンボラ危機が欧州人の文化的意識に深く刻み込まれていった。それを実証するものが至る所で発見できる」と証言している。

欧州の近代史で2回、大きな天災があった。「リスボン大地震」と「1816年」だ。前者は1755年11月1日、ポルトガルの首都リスボンを襲ったマグニチュード8.5から9の巨大地震で、津波が発生。同市だけでも3万人から10万人が犠牲となり、同国全体では303万人が被災した。文字通り、欧州最大の大震災だった。その結果、国民経済ばかりか、社会的、文化的にも大きなダメージを受けた。
例えば、ヴォルテール(Voltaire)、カント(Kant)、レッシング(Lessing)、ルソー(Rousseau)など当時の欧州の代表的啓蒙思想家たちはリスボン地震で大きな思想的挑戦を受けた知識人だ。彼らを悩ましたテーマは、「全欧州の文化、思想はこのカタストロフィーをどのように咀嚼し、解釈できるか」というものだった。例えば、「ヴォルテールはライプニッツの弁神論から解放されていった」といった学者の報告もある(「大震災の文化・思想的挑戦」2011年3月24日参考)。

同じように、1816年は欧州社会、文化、芸術の世界に消すことが出来ない影響を与えた。フランスの画家テオドール・ジェリコーの絵画「大洪水」は1816年の終末状況を鮮明に描いている。「1816年以降生まれた絵画や小説には世界の終末の日の恐れと恐怖が感じられる」(シュピーゲル誌)というのだ。

同誌によると、「異常気象は当時、北半球全体を襲った。北イタリア、スイス、そして米国東海岸で7月まで雪が降り、8月末からまた雪が降りだした。ドイツで1週間雨が降り続き、太陽は長い間見えなかった。ライン川は洪水を引き起こし、中国でも農地が長雨で泥沼化した」という。

あれから200年が経過する。地球を取り巻く気候状況は変わってきている。例えば、中欧都市ウィーンではここ数年、「冬のない年」が続く。平地ではほとんど雪が降らない。当方がオーストリア入りした1980年代は冬になれば必ず大雪が降ったが、ここ数年、ウィーンで雪は降らない。

4月から6月にかけ天候が不順だった。初夏の到来を思わせるほど気温が急上昇したかと思えば、その翌日は冬の回帰のように寒い日々が続く。普段はあまり降らない長雨が降り、欧州各地で大雨の被害ニュースが流れる。数日前、ドイツ南部で日本の津波を見ているような洪水風景が放映されていた。冬服をしまい、夏服の準備と考えていた矢先、気温が下がるといった日々の繰り返しが続く。気温の上下が激しく、老人は体調を整えるのが大変だ。

1816年の異常気象で農作物は不足し、飢餓で亡くなる欧州人が出たが、21世紀の今日、世界で約30億トンの食糧が腐ったり、放棄されている。

ちなみに、昨年12月に開催された国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)では、温室効果ガス削減目標の提出と5年ごとの見直し、国内対策の実施などを義務付けた「パリ協定」が合意されたばかりだ。「1816年」の再来に備えるべきだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年6月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。