欧州で広がる“ファーストの事情”

長谷川 良

英労働党のジョー・コックス下院議員(41)が路上で52歳の男性に射殺され、殺害された。英国の欧州連合(EU)の離脱を問う国民投票を1週間後に控え、同議員の死は英国国民に大きなショックを与えている。殺害された議員はEU残留派だ。一方、容疑者は目撃者の話では「英国ファースト」と叫んでいたという。極右思想にかぶれていた、という情報が流れている。

ここでは容疑者が叫んだという“英国ファースト”について考えてみたい。厳密に言えば、英国を抜いて、「ファースト」についてだ。「〇〇ファースト」は新しい政治用語ではなく、欧州全土で現在、最も頻繁に聞かれる言葉の一つだ。

欧州の政界ではファーストを掲げる政党、政治家が増えてきた。具体的には、オーストリアでは極右政党「自由党」が「オーストリア・ファースト」をキャッチフレーズに選挙戦を戦い、飛躍している。ドイツでは同じ極右勢力「ドイツのための選択肢」(AfD)が「ドイツ・ファースト」を主張し、隣国自由党の政策を真似てきた。そして現在、フランス、ベルギー、オランダ、ハンガリーでも程度の差こそあれ「ファースト」という言葉が頻繁に飛び出す。フランス・ファースト、オランダ・ファーストだ。

ファーストは文字通り、最初、第一などを意味し、「政府は国民の利益を最初に重視すべきだ。外国人、難民・移民ではない」という意味合いがファーストに込められていることはいうまでもない。

興味深い点は、ファーストを頻繁に主張する人も「お前たちはラーストだ」とは言わない。あくまでも自分たちがファーストだという点に拘る。ファースト派はラースト派との戦いを望んでいない。願っているのは、自分たちがファーストとして取り扱われることだけだ。

それでは、何をファーストに期待しているのか。仕事、住宅などへの政府の支援であり、補助金であり、失業手当の増加、児童手当の増加などかもしれない。政府は自国民を優先的に支援、援助すべきだという主張だ。

運動会のパン食い競争では、最初にパンに食らいつきたいと走り出す。それがファーストだ。極めて自然なことだ。ファーストを考えず、ラーストでもいいやと走れば、パンは無くなってしまう。

世界経済は厳しく、国民経済の急成長は期待できなくなってきた。国民経済のパイの大きさは変わらないが、そのパイを要求して難民・移民たちが殺到してきた。そこで「俺たちのパイだ」という叫びがファーストだ。

経済が順調に成長し、パイが年々大きくなっていけば、ファーストに拘らず、相手に与える余裕が生まれてくるかもしれない。しかし、現状はそうではない。高福祉社会は停滞し、少子化も進む一方、外国から多くの移民が殺到してきた。悠長なことを言っている場合ではない。これがファーストだ。失業率を下げるためには少なくとも年4%の経済成長率が必要だが、そんな高成長はもはや望めない。外人労働者が殺到すれば、失業率は高まることは必至だ。

このように描写していくと、欧州で席巻するファースト派は民族主義者であり、外国人排斥者だとは言い切れなくなる。やむを得ない事情がある。家族を養い、子供を学校に行かせ、年に2回のバケーションを家族と共に享受するためにはファーストの地位を奪われてはならない。ファースト派にはそれなりの事情がある。その願いを安易に「利己的だ」と軽蔑できない。

それでは、極右政党の主張は正しいのか。換言すれば、ファースト派の要求に理解を示す一方、ラースト派にも心を配ることはできるかだ。計算上は可能だ。ファースト派がその生活水準を少し落とす覚悟があれば、ラースト派をケアできる。しかし、実際は容易ではない。その上、生活水準を落とし、節約すべきだと有権者にはっきりと要求する政治家は少ない。

“聖パウロの悩み”ではないが、心ある欧州人はファーストを願う心と、ラースト派への慈愛心の間で葛藤している。私たちは聖人でも英雄でもない。共有、共栄、共義の社会を夢みながら、その一方でファーストの立場を失いたくないと苦悩しているのだ。これが偽りのない“ファースト派の姿”ではないか。

政治家は国民に国のパイの大きさを正直に伝え、現在、国の優先課題が何かを語らなければならない。政治家はファースト派に迎合することもラースト派に無条件の寛容を示す必要もない。なぜならば、ラースト派にも大きな責任があるからだ(ラースト派の問題は別の機会で扱う)。

政治家は問題に真摯に向かい合い、“ファースト派の悩み”に処方箋を提示してほしい。繰り返すが、ファースト派を民族主義者、外国人排斥者と刻印し、問題解決の交渉テーブルから除外することは最悪の解決策であり、問題を一層、先鋭化させるだけだ。ファースト派はすなわち、“大多数の私たち”だからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年6月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。