「みこし」を求める日本型ポピュリズム

猪瀬直樹氏が、東京都の病理は「傀儡政権」を求める自民党都連の内田茂幹事長だと指摘している。猪瀬氏が都議会や都庁職員に不評で、舛添氏が好評だったのは、このためだ。そして都連は今、小池百合子氏を拒否して増田寛也氏を擁立しようとしている。

増田氏は岩手県知事時代にハコモノを濫造して県の借金を1兆2000億円に増やし、総務相時代には都市の税収を地方に分配する制度をつくり、これまでに1兆円以上の都税が地方にばらまかれてきた。最近では日本創成会議の座長として「地方消滅」の危機を訴えたが、これはまやかしだ。消滅するのは地方自治体であり、困るのは役人だけだ。

なぜ「東京都のカネを地方にばらまけ」と主張する元建設官僚に、都連は執着するのか。それは彼が、舛添氏と同じく官僚機構のいう通りに動くみこしだからである。私の記事でも書いたように、行政改革をしようとした猪瀬氏は自民党にきらわれ、官僚機構のあやつり人形になる青島幸男のような「バカ殿」が名君なのだ。

都連が小池氏を拒否するのは、「みこし」にならないからだ。1991年の都知事選で自民党の小沢幹事長が推薦した磯村尚徳氏に対して、都連が現職の鈴木俊一氏を立てたときは鈴木氏が圧勝したが、2012年には都連の拒否した猪瀬氏が史上最高の得票で当選した。今回も世論調査では小池氏の人気のほうがはるかに高く、分裂選挙になったら増田氏は勝てないだろう。

だから「崖から飛び降りた」小池氏は、都連が推薦を拒否しても出馬すべきだ。このように官僚機構と結びついた利権政治家が「みこし」をあやつってバラマキを続ける責任不在の日本型ポピュリズムこそ、政治をゆがめている元凶だからである。アゴラの夏の合宿でも、このような日本のいびつな民主主義をいかに立て直すかを考えたい。