通信文化:リヨンの巻

2016年07月21日 12:22

雑誌「通信文化」に、郵便関係者向けコラムを少々つづりました。いくつか抜粋します。その1。

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日本で初めて映画が上映されたのは、京都。鴨川の脇にある立誠小学校という公立の学校だそうだ。廃校となったその建物で昨秋に開かれた京都国際映画祭で聞いた。失われた小学校で、映画という文化を遺す。なかなかやるな。美しい心意気だ。

映画が誕生したのは、京都で上映された2年前、1895年。フランスの南東部、リヨンでのこと。リヨンの街は、ローヌ川とソーヌ川が真ん中を走り、合流する。二本の川が合流して中央を貫く京都に似ている。川の周辺をはう路地の工房で絹織物が栄えたのは、西陣を思わせる。

その地で映画を発明したのは、オーギュストとルイ。リュミエール家の兄弟だ。マラソンの宗兄弟。野球の金田兄弟。鳩山兄弟。源頼朝・義経。いとし・こいし師匠。日本にも偉大な兄弟はいるが、フランスにもいるのだ。

聖地を訪れよう。20世紀の世界を幸せにした映画という発明。それを生んだ兄弟は英雄だ。120年前から生まれてきたフィルムは劣化が進み、多くの作品が失われていくことが問題視されている。その文化をどう遺すのか。そして英雄たちはどう讃えられているのか。

果たしてリュミエール兄弟のおうちと工房はしかと保存されていた。だが、リヨンの町外れにつつましく遺る建物を訪れる人影はまばらで、ちょいと拍子抜け。

それよりも、リヨンの空港に降り立って気がついたのは、より強い光の当たる英雄がいることだ。空港名、サン=テグジュペリ。そう、「星の王子さま」の作者である。その名が玄関の冠になっているのだ。2000年に彼の100周年を記念して改名されたという。1995年の映画100周年にリュミエール空港になる、ことはなかったのだ。

リヨン市の真ん中に位置するベルクール広場には、ルイ14世と並び、サン=テグジュペリの銅像が置かれている。リュミエール兄弟の像はない。

思い出した。ユーロが導入される前に流通していた50フラン札。サン=テグジュペリの肖像と、星の王子さまのイラストが描かれたかわいらしいお札だった。ユーロ導入は1999年。フランが失われるタイミングで、空港名を変えたわけだ。

日本にも夏目漱石や樋口一葉のように紙幣に描かれる文人はいるが、空港の名前に据えられた人はまだいるまい。まぁ、高知龍馬空港や米子鬼太郎空港ってのもあるから、そう遠くなく実現するかもしれんが。

サン=テグジュペリが英雄視されるのは、すてきなお話を紡いでくれたから、だけではない。彼の本職は郵便飛行士。ひとびとの大切なメッセージを運ぶ聖職だったのだ。戦時中も危険を冒して飛行を続け、飛び立って行方しれずになったのが最後となった。

映画に比べれば、一つ一つの手紙は、かすかな存在かもしれない。でも、一つ一つが、大切な人に向けられた、自分だけの、かけがえのない言葉。それらをまるごと抱えて、銃弾の降る夜の地中海を飛んでくれる。その仕事を英雄と呼ぶ。フランは失われても、空港を遺す。

なかなかやるな。リヨンの心意気に、乾杯した。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年7月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。

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