通信文化:ブエノスアイレスと大阪の巻

郵便関係者向けコラムの2です。

最も遠い国の一つ、アルゼンチン。首都、ブエノスアイレス。いい空気、という意味だ。タンゴがある。マラドーナが育った。「母をたずねて三千里」で、母をたずねた。妙にそそる。

そそられて、行ってみた。地下鉄に乗った。すると激しい既視感に襲われた。この懐かしさは何だ?えんじ色の車内を見回した。あれっ、コレ阪急電車やないか?

そう、古い阪急の車体だった。阪急の車両が第二の人生を、いい空気で送っていたのだ。

初めての阪急は小学校4年生だった。時は大阪万国博覧会。住んでいた京都から、確か淡路駅まで乗って向かった。こんにちは。こんにちは。世界の、国から。1970年の、こんにちは。三波春夫さんが朗々と西暦を歌い上げてくれたおかげで、あれが45年前のイベントだったことを忘れない。

母と二人だった。チケットが今も手元にある。母のには「大人」、私のには「小人」とある。昔は子どもの券にはたいてい子どもではなく小人と書いてあった。小さい人だから、仕方がない。

その脇には「人類の進歩と調和」と記されている。人類は、進歩するものだった。そうだボクらは進歩を当たり前だと思っていた。未来は明るかった。空をエアカーが飛び、宇宙都市や海底都市に人が住み、テレパシーで交信する。未来、早よ来い、と思っていた。

今の子どもたちに「未来は」と問うと、核戦争とか、酸性雨とか、難民とか、身もふたもないことを言う。彼らにとって地球は滅亡に向かっている。進歩も成長もしないようだ。確かに彼らが生まれてから、日本は成長していない。彼らが未来に期待できないのは大人のせいであって、小人のせいではない。私たちが未来を提示できていないのだ。

万博。人気のアメリカ館やソ連館は列が長蛇すぎて無理。結局、並んで入れたのは、住友童話館と、360度の映画を見せてくれたみどり館の2つ。万博は、その一度だけ。数十分で行けるとはいえ、母にも、周りの大人にも、何度も連れて行く余裕はなく、子どもだけで行くのは学校が禁じていた。

阪急で河原町駅に戻った。へとへとだった。出たところの店で、二人してラーメンをカウンターですすった。うまかった。めったに外食もしたことがなかったから、リアルに覚えている。その店はいま「天下一品」になっている。

45年前、そうやって精一杯、小人に未来を見せてくれた。おかあさん、ありがとう。ぼくはまだ小人たちに、未来を見せられていません。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2016年7月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。