40年目の新事実:『秘密解除 ロッキード事件』

池田 信夫


田中角栄がロッキード事件で逮捕されたのは、今からちょうど40年前の1976年7月27日だった。そのとき以来、膨大な報道が行なわれてきたが、いまだに謎が多い。本書はこれをアメリカの(秘密指定を解除された)公文書で検証したものだが、日本から見たイメージとまったく違う。

最大の謎は、なぜ事件がアメリカから発覚し、しかも田中角栄だけがやられたのかということだ。そのきっかけは上院外交委員会の多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)にロッキード社の秘密資料が「ミステーク」で届けられたということになっているが、これはロッキード社の弁解で、この文書は正式の命令で届けられたものだ。

田中角栄が「独自の資源外交をやって石油メジャーの利権をおかし、アメリカの虎の尾を踏んだ」という説も証拠がなく、議会スタッフも否定している。そもそもこの事件には、石油メジャーはまったく関与していない。

きっかけは、1974年のウォーターゲート事件だった。多国籍企業が外国(特に途上国)に大型商品を売り込むとき、その国の政府高官に賄賂を贈ることは、必要悪として暗黙のうちに認められていた。CIAなど政府機関がそれに関与することもあったが、そういう事実を暴くことは「アメリカの国益に反する」ため、捜査機関も議会も見逃していた。

しかしウォーターゲート事件で、ニクソンが「国益に反する」という理由で彼の個人的なスキャンダルを隠したことが国民の怒りを買い、それまで封印されていた贈賄の疑惑を議会が暴き始めた。チャーチ委員会には捜査権限があり、ロッキード社や監査法人などに文書の提出を命じた。そのうち法律事務所の出した文書に、田中の名前があった。

田中の他にも中曽根康弘、竹下登、中川一郎などの名前が文書にあがっていたが、「議会スタッフは限られているので田中に絞った」というのがチャーチ委員会スタッフの言い分だ。中曽根と児玉誉士夫のからむP3Cが本筋だったが、「軍用機の問題は複雑で安全保障にかかわる」ので深く追及しなかったという。

だから田中がねらわれたのではなく、当時の三木政権の幹事長だった中曽根が、自分のからむ児玉ルートを「もみ消す」ようアメリカに求めた(そういう電文が残っている)結果、本筋ではない丸紅ルートだけが追及の対象になったと考えたほうがわかりやすい。竹下や中川も捜査の対象になり、中川はそれを苦にして自殺した。

いまだに田中については冤罪説があるが、彼がロッキード社から5億円を受け取った証拠は十分ある。嘱託尋問などの司法手続きには問題があるが、それより重大なことは、アメリカに弱みを握られた自民党の政治家が(資料に固有名詞が出ているだけで)10人以上いて、そのうち3人が首相になったことだ。他にも岸信介が、CIAから巨額の工作資金を得たことも公文書で明らかになっている。

このように金や軍事力だけでなくスキャンダルによる脅しで、アメリカは日本をコントロールしてきた。本来は田中についても表に出ないほうがアメリカにとって強力な武器であり、その意味でロッキード事件は「ミステーク」だった。チャーチ委員会はロッキード事件の調査を最後に解散し、その後は多国籍企業のスキャンダルは追及されなくなった。