聖職者が殉教する時は怖い

米ニューヨーク市クイーンズのオゾンパーク地区のイスラム寺院付近で13日午後、55歳のイスラム教聖職者(Maulama Akonjee) とその助手Thara Uddin (64)が殺害されるという事件が起きた。NY市警によると、犯人の男は逃走した。犯行動機は不明。2人の聖職者がイスラム寺院から出た直後、1人の男が背後からピストルで発砲した。

地元のメディア報道によると、殺害された2人は聖職者と分かる宗教法衣を着ていた。近くの公園周辺には多くのイスラム信者たちが住んで居る。多くはバングラデシュ出身者だという。

同事件が報じられると、バチカン放送は欧州時間14日、「ニューヨークでイスラム教学者が射殺された」と報じた。クイーンズ地区の住民たちは「憎悪犯罪」と受け止め、警察当局に犯行の解明を強く要求してい、と伝えている。

聖職者の殺人事件といえば、フランス北部のサンテティエンヌ・デュルブレのローマ・カトリック教会で先月26日午前、2人のイスラム過激派テロリストが神父(85)を含む5人を人質とするテロ事件が発生したばかりだ。2人のテロリストは特殊部隊によって射殺された。フランス警察当局によれば、神父は首を切られ殺害されたという。

2人のテロリストは神父を拳銃で射殺もできたが、刃物で首を切っている。その殺人方法は異教徒への憎しみが感じられる。イスラム過激派テロリストは神父の首を切り、異教徒への憎悪を表現したと受け取れるのだ。

神父が所属したルーアン大司教区のレブルン大司教は殺されたジャック・アメル神父の列福手続きに乗り出している。同大司教は、「神父の死はイエス・キリストへの信仰の証だ」と説明し、共産主義政権下のポーランドで1984年、秘密警察によって殺害されたイェジ・ポピエウシュコ 神父の列福を例に挙げ、「通常の列福の場合、奇跡が必要だが、殉教の場合はそうではない」と述べ、神父の列福プロセスを進めていく意向を明らかにしている。

ここで看過できない点は、仏特別部隊によって射殺された2人のテロリストはイスラム過激テロ組織『イスラム国」(IS)にとっては聖戦(ジハード)の殉教者とみなされているという事実だ。神父殺害事件直後、ISは犯行声明を出している。
殺害された神父はローマ・カトリック教会にとって間違いなく殉教者だが、殺害したテロリストもイスラム教の聖典コーランに基づけば、ジハードで亡くなった者は殉教者ということになるわけだ。

ルーアン大教区のLebrun大司教は、「宗教戦争にしてはならない」と警告を発し、イスラム教徒とキリスト教信者の和解・共存をアピールしたが、そのためには殺された神父の殉教プロセスを現時点で進めることは賢明ではないだろう。両宗教間のいがみ合いを加熱し、新たな殉教者を生み出す危険性が出てくるからだ。
同じように、NYのイスラム教聖職者の殺人事件は犯人の動機が不明だとしてもイスラム教徒の怒りを煽り、新たな紛争を誘発する危険性があるのだ。聖職者が殉教する時は怖い。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年8月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。