アベノミクスでレジームチェンジは起きず

久保田 博幸

世界最速でデフレからの脱却に成功させた高橋財政を模範にしたのが、アベノミクスと言える。これは安倍晋三首相が口にした「レジームチェンジ」という言葉にも現れていた。本田悦郎内閣官房参与(当時)は2013年2月の時事通信社とのインタピューで次のように語っている。

『「レジームチェンジ」、つまり金融政策の枠組みを変えることによって、緩やかなインフレ予想を国民に持ってもらうことが重要だということです。デフレに順応するのではなくて、デフレと闘う積極的な金融政策、積極的な日銀を演出する。そのためには、それまで日銀がやっていたような小出しの金融緩和ではだめです。2%のインフレ率を達成するまでは「無制限」に国債、特に長期国債を買っていくとアピールすべきだと申し上げました。「レジームチェンジ」「無制限国債購入」でいきましょうと。』

安倍首相がレジームチェンジという用語を口にしたのは、本田氏の助言による可能性もあった。本田氏の当時の主張は日銀が無制限に国債、特に長期国債を買っていくと2%の物価目標が達成できるというものであった。

それを日銀は2年で達成するとしたのが2013年4月に決定した量的・質的緩和政策であった。それから3年4か月が経過したが、日銀が目標と置いた消費者物価指数(総合)の直近の数字はマイナス0.4%である(今年6月分)。

レジーム転換(レジームチェンジ)という用語を調べて見ると、このような説明があった。

「需要がないから、いくら資金を供給しても無駄という受動的な金融政策のスタンスを、事前に決められたインフレ率に到達するまで積極的に資金を供給し続け、断固としてデフレに立ち向かう、という能動的な金融政策へ転換させることを意味している」(「平成大停滞と昭和恐慌」田中秀臣・安達誠司著)。

この本のなかで、レジーム転換の事例として、高橋財政における1931年11月の禁輸出禁止と1932年12月の日銀の国債引受開始をあげている。これは日銀副総裁である岩田規久男の「昭和恐慌の研究」で示したリフレ政策であり、アメリカの経済学者であるトーマス・サージェントやピーター・テミンらの「政策レジームの変化」の研究を踏まえ生まれたものとされている。

アベノミクスは岩田規久男日銀副総裁や、浜田宏一内閣官房参与、本田悦朗内閣官房参与などいわゆるリフレ派と呼ばれる人達の考え方が強く反映されている。そのリフレ派の人達が、デフレ脱却の見本としたのが高橋財政であり、特に1931年11月の禁輸出禁止と1932年12月の日銀の国債引受開始という二段階でのレジームチェンジによりデフレ脱却を可能にしたとしていた。

果たして高橋財政が今の時代でも通用するのか。そもそもアベノミクスと高橋財政では時代背景がまったく異なるものである。そのような背景を無視しても2%のインフレ率を達成するまでは「無制限」に国債、特に長期国債を買っていくとアピールでレジームチェンジが起きて物価は上がるとした本田氏の主張は結果として正しくはなかった。

むしろ日銀は2013年4月の大胆な国債買入だけでなく、2014年10月はその規模を拡大したが、少なくとも目標とした物価については成果は出なかった。規模の拡張が困難になると今年1月にはマイナス金利という政策を打ち出したが、これは長期金利をマイナスに引き下げるという結果は出ても、物価や景気に対する目に見えた効果もなく、むしろマイナス金利への弊害が指摘された。

アベノミクスによる大胆な国債買入でレジームチェンジは起きたのかという問いがあれば、この結果を見る限り起きなかったと判断せざるをえない。消費増税の影響、原油安等は言い訳に過ぎないことも上記の本田氏の発言等で明らかである。さらにここから大胆な金融緩和を行えばインフレ目標達成が可能という理屈にも無理がある。

「金融政策が提供できるのは経済の不確実性に対する短期的な鎮静剤にすぎない」とイングランド銀行の チーフエコノミスト、アンドルー・ホールデン氏が述べたそうであるが、これが本来の見方であり、黒田総裁前の日銀も同様の主張をしていた。日銀はこの原点に回帰すべきであるが、少し派手に進み過ぎて後戻りもできない状況に自らも追い込んでしまっている。9月に多少なりその軌道修正は可能なのであろうか。

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編集部より:この記事は、久保田博幸氏のブログ「牛さん熊さんブログ」2016年8月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。