勝手に退位してしまった歴代ただ一人の天皇のお話

天皇陛下の生前退位をめぐり、内閣法制局などが、生前退位を今の天皇陛下にだけに限定するのであれば、特例法の制定で対応が可能だが、将来にわたって生前退位を可能にするためには、「憲法改正が必要」と指摘しているという報道がある。

正直いってまったく理解できない。過去にも生前譲位が憲法違反であるという意見がそれほど有力だったとも思えないし、まして、今上陛下だけ例外的に認めるのは合憲だという珍妙な憲法解釈があるのだろうか。

私が心配するのは、関係者が陛下のご意向だから議論できないので憲法違反でも陛下の責任という方向で逃げようとしているのでないかということだ。

そもそも、天皇譲位については、本人がどうしても辞めたいと仰れば、臣下は従うというような歴史的伝統もない。皇室の内部のほかのメンバーの支持も大事だったし、公家たちとか、幕府とかの意向も尊重され、制度的な安定や政治的な妥当性、それからかなり膨大なコストなどを総合的に考慮してコンセンサスが図られてきた。

天皇が譲位したいから、臣下たちが恐れ多いお言葉として従うなどという運営はされてこなかった。西洋の独裁者としての帝王と、聖徳太子の17条憲法や、五箇条のご誓文にあらわされたコンセンサス主義のなかでの天皇は違うのだ。

花山天皇それでは、勝手に辞めてしまった天皇はいないのかといえば、一人だけおられる。第六五代花山天皇だ。外祖父の藤原兼家は、七歳の孫(居貞親王・三条天皇)を登極させるために、天皇を騙して天皇を出家させたのである。

出家の引き金となったのは、深く愛していた女御藤原忯子が妊娠中に死んだことである。嘆きが大きかったのにつけ込み、蔵人として天皇の側にあった兼家の子の道兼が、自分も一緒に出家すると騙し、山科の元慶寺(花山の麓)に連れだし出家させたうえで、自分は逃げ出した。このとき、護衛をしたのが、清和源氏三代目の多田満仲で、これがひとつのきっかけになって台頭していく。

ともかく、出家してしまっては、天皇であることはできなかったので、藤原兼家の陰謀による結果を誰も覆さなかった。

もうひとつ、天皇がかなり強引に退位してしまったといえなくもないのは、後水尾天皇なのだが、別の機会に紹介したい。

歴代の天皇の生前退位の支障になったかなり大きい理由のひとつは、かなり、膨大なコストである。今回の譲位も直接、間接のコストはかなりなものになるはずだ。たとえば、退位後の両陛下はどこに住まわれるのか?常識的には、新しい陛下か退位された両陛下のために新しい御所が必要だ。

しかし、誤解ないように付け加えるが、私は御譲位に賛成である。ただし、陛下の異例のご希望だから仕方ないという発想だけはおかしいと思う。

今回の問題の核心は、超長寿化に伴って、世界各国で生前譲位が多くなっているという流れの中で、日本でも同じ状況があるし、生前譲位ということが日本の皇室の歴史的伝統に反するわけでないで良いのではないかと思うからだ。

ただし、今回限りという発想は絶対におかしい。今後も同じ問題は当然に起きうる。とくに、次の継承は、現在の継承順位に従えば、五歳違いの皇太子殿下から秋篠宮殿下ということになる。

超高齢になってからのそういう継承は不自然で、比較的早い時期での御譲位によって、秋篠宮殿下も少なくとも10年くらいはご在位いただくようにするか、逆に皇太子殿下から悠仁親王に直接に継承されるかということも視野に入れるべきだ。

そういう意味でも今回は例外はおかしい。原則論をきっちり立てるべきだと思うのである。制度を不安定にしておくことはいちばんよくない。

また、女帝女系問題については、とりあえず、悠仁親王までは現在の原則に従うことを確定させ、そのうえで、旧宮家のなんらかのかたちの復帰と、女帝女系の可能性模索も両方、可能なように条件整備することを同時にすべきだ。

現在は、旧宮家復帰派と女帝女系派が両方、可能性をつぶし合っているが、両方の可能性を同時に追求できるようにする方がよほど賢い。悠仁親王まではという路線を確定しておけば、その先は21世紀後半になってからの問題なのだから。

 

※写真はWikipediaより(アゴラ編集部)