「愛は地球を救う」は地球を救ったのか?感動ポルノはもうやめよ

2016年08月29日 14:00

実に痛快な記事だった。Eテレ「バリバラ」のことを伝える毎日新聞の記事だ。ヤフートピックスにも掲載されていた。

<NHK>「障害者を感動話に」方程式批判(毎日新聞) – Yahoo!ニュース

Eテレ「バリバラ」が日テレの「24時間テレビ」を批判、風刺するような内容を放送したというのだ。番組を見逃してしまったが、再放送されるというのでチェックすることにしよう。少なくとも、この番組を伝える毎日新聞の記事は私が長年(それこそ、物心ついた頃から、三十数年にわたり)抱いていた違和感を見事に代弁している。

本来は再放送された番組を見てからコメントするべきだが、いてもたってもいられなくなり、キーボードに向かっている。腐敗しきった「24時間テレビ」、「愛は地球を救う」なんていう欺瞞に満ちた番組に、私はこの檄を叩きつける。

「バリバラ」が批判したように、「24時間テレビ」は「感動ポルノ」そのものだ。社会的に弱い立場にある者(たとえば障がいがある者)に愛を注いでいるようで、見下している、それを視聴率に利用しているのは見え見えだ。芸能人が突然、マラソンを始めるのもまったく理解できない。実にけしからん話である。

だいたい、この日だけ注力して「愛」を叫ぶのはいかがなものか。日テレには見るべき番組がない。ふと気づいた。日テレの番組に一つも録画してでも見たくなる番組がないことを。毎年、恒例の他局つぶしの「宮崎アニメ」もすでにBlu-rayで買い揃えたので、私には効かない。大衆に迎合した低俗なバラエティ番組を垂れ流す中、突然「愛」と言われても困る。

「愛は地球を救う」というコピー自体は素晴らしい。「愛」は否定しないが、ここでいう「愛」とは何なのだろうか。「愛」という言葉は時に思考停止を誘発するし、暴力になる。40年近くやってきて、この番組で言う「愛」はどれくらい地球を救ったのだろうか。「愛」と言いつつ、それは自局や番組、出演者の自己愛ではないのだろうか。

私は母子家庭の出身なのだが、家族が亡くなっていく前、生まれた頃は、脳腫瘍で半身不随で障害者手帳を持っている父、人工透析に通う祖父、心臓の弱い祖母と一緒に暮らしており、それを母が切り盛りしていた。その姿を見て学んだことは、障がいや病気とは、当事者にとっては付き合うものであり、向き合うものであり、違いである。その悩みはそれぞれだ。苦労は想像を超えている。一方、その障がいや病気ゆえに見える世界だってある。幼い頃、そんなことを学んだのは私自身も貴重な体験だった。

「24時間テレビ」の世界観は、一億総中流と言われた時代の世界から脱していない。多様化、格差社会化する世界にまったくついていっていない。「スポットをあててやったぞ」「救ってやるぞ」という世界観をいつの間にか醸しだしていて、それが共感を呼んでいないことをわかっているのだろうか。

Eテレ「バリバラ」は、放送に至ったのは今年度だったものの、長年、番組関係者と視聴者は「24時間テレビ」に対する怒りが溜まっていたことだろう。普段からの問題意識の積み重ねを感じる。民放に対して批判的な内容を放送することを決断した番組関係者を尊敬する。

別に謝罪はしなくていい。「24時間テレビ」関係者はこれまでの番組のあり方を総括し、敬虔な反省を持つとともに、自己批判をしなさい。喝だ。大リニューアルが行われない限り、私は一生見ない。まあ、私が死ぬまでには、同番組は支持されず、終了していることを祈る。そして、「24時間テレビ」なんていうイベントがなくても、普通に障がいや貧困を乗り越えた愛に満ちた世界が実現することを祈る。

だいたい愛なんてことをわざわざ叫ぶ社会は、愛が足りないのだよね。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2016年8月29日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた常見氏に心より感謝申し上げます。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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