『シン・ゴジラ』は残念で『君の名は。』は素晴らしかった3つの理由

藤沢 数希

今年の夏は、邦画が好調で、まずは7月29日に公開された庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』が大ヒットした。9月4日時点で、累計動員約400万人、累計興行収入60億円を記録している(シネマトゥデイ)。そして、このシン・ゴジラを上回るペースで大ヒットしているのが、8月26日に公開された新海誠監督のアニメ『君の名は。』だ。公開8日間で200万人以上動員し、興行収入約30億円である(ナタリー)。ゴジラの倍速ペースだ。しかも、2週目に入って、1週目よりも動員ペースが増えており、さらに加速していく勢いだ。間違いなく、空前の大ヒットとなるだろう。

昨年は、『進撃の巨人』などで酷評された邦画であるが、今年は、少なくとも興行的には日本の映画が大成功している。そして、両映画とも、東日本大震災をモチーフにしている点で、じつは共通点がある。ゴジラは、福島の原発事故のメタファーであり、『君の名は。』の1200年ぶりに地球に接近する彗星は、言うまでもなく、東北地方沿岸の街を消滅させてしまったあの巨大な津波のメタファーである。

さて、僕の個人的な感想であるが、残念ながら『シン・ゴジラ』のほうは、まったく楽しめなかった。一方で、『君の名は。』は素晴らしい作品だと思った。以下、その理由を書こうと思う。

シン・ゴジラでは、福島第一原発の放射能漏れ事故と、そのときの政府の対応が、明らかにテーマになっている。もちろん、そのことは明示されているわけではないが、そのメッセージ性は明らかだ。そして、この原発事故の本質は、放射能の危険性ではない。風評被害や、ある意味で民主的に行われた政策決定で、経済的にも、また人命という観点で見ても、二次的に多大な損害が出た、そして、いまも出続けている、ということだ。

実際のところ、福島第一原発から漏れ出た放射能により、人命はおろか、健康被害すらまだ一例も出ていないにもかかわらず、国民の不理解や、こうした誤った理解に基づく民意におもねる政府の間違った政策判断(経済的、人命重視の点では誤っているが、なるべく当選確率を高めるという個々の政治家の合理性では誤っていない)により、日本国民は多大な犠牲を払ったのだ。

以上のことは、拙著『反原発の不都合な真実』にくわしく書いたので、ここで詳細は繰り返さない。

そして、シン・ゴジラは、基本的に、この「誤った民意」に概ね沿うように描かれている。つまり、風評被害や多大な経済的負担を強いることになった、多くの人が信じているがじつは間違っている考え方、だ。そもそも、ゴジラというものは、愚かな人間が手を出してしまった核の副作用で生まれてしまった怪獣なので、作品が「反核」というテーマ性を帯びるのは避けられない。僕は、地球温暖化などの環境問題やエネルギー問題を解決するのは、いまでも核エネルギーしかない、と信じているので、この点で、政治的にはゴジラと相容れないのは仕方がない。

一方で、『君の名は。』には、政治的なメッセージは一切ない。ただ、予測不可能な津波が日本を襲ったように、接近した彗星が、ただ予測不可能な災害を起こしてしまう。それだけだ。そして、それでいいと思う。

反核もそうなのだが、音楽や映画など、日本のエンターテイメント作品には、反米、反資本主義、反グローバリズム、反テクノロジーといった隠れたテーマが、さり気なく織り交ぜられることが多い。僕は、市場経済もグローバリズムも素晴らしいと思っている人間なので、どうしてもこうしたものが鼻についてしまう

次に、フィクションの中の非科学性にどう対処するかについて、このふたつの作品はまったく対照的なアプローチになっている。核廃棄物を食べて突然変異により恐ろしい怪獣となったゴジラ。『君の名は。』では、主人公たちの意識がお互いに入れ替わり、ときに時空まで超えてしまう。

どうして、たかだか深海生物の突然変異で生まれたゴジラが、米軍の最新兵器でもまったく傷つくことなく、東京を破壊していくのか。庵野監督のアプローチは、登場人物たちに、長々と科学的な説明をさせることであった。遺伝子の特異性やゴジラが核エネルギーを利用した、まったく新しいタイプの生物であることが、登場人物たちにより、早口でくわしく解説される。

しかし、元々どう考えても非科学的なものなので、くわしく説明されればされるほど、僕は興ざめしてしまった。間違ったことをディテールで説明されると、ディテールのダメなところに一々反論してしまう。これは僕が物理学のPhD持ちだからかもしれないが。

一方で、『君の名は。』では、ヒロインの女子高生と主人公の男子高生の意識が入れ替わるのだが、まったく何の説明もない。しかし、何の説明もないからこそ、非科学的なこの設定は、ストーリーのためのお約束なんだよ、とすんなりと受け入れられる。ゴジラでは、魔法のような設定が多数登場するが、『君の名は。』の魔法は、この一点だけだ。やはり、映画で魔法を使うなら、ひとつだけに絞ったほうがいい。

両作品とも映像は素晴らしかった。軍の最新兵器が多数登場したり、CGが多用されるような特撮映画に関しては、日本は予算が一桁以上多いハリウッドの足元にも及んでいなかったのだが、今回はかなりいい線を行っている。ふだん東京でよく見ている高層ビルが、次々と破壊されていくゴジラの映像は圧巻だ。また、自衛隊も協力したらしく、戦車や戦闘機など非常にリアルだった。この点に関しては、日本映画の可能性を感じさせてくれた。

『君の名は。』のほうの美術は、すでに多くの評論家が賞賛しているように、たいへん美しいものだった。日本のアニメは世界最高水準なので、『君の名は。』は自動的に世界でトップの絵の美しさということになる。その点で、実写のゴジラのほうは、日本の映画で予算が少ない割に、ハリウッドの大作と比べらる映像なんてよくがんばった、ということになる。しかし、見る方にしてみたら、映画の料金は変わらないのだから、少ない予算でがんばったかどうかなんて、どうでもいい話だ。

ストーリー自体は、『シン・ゴジラ』のほうは、意思決定ができない日本の組織のあり方、それでも最後はがんばる日本人みたいなところが見どころだし、『君の名は。』はずばり恋愛である。こちらのほうは、僕が月並みの感想を書かなくても、ネットで検索すれば、いくらでも面白い評論が見つかるだろう。ネタバレを書くのも野暮というものだ。

じつは『君の名は。』のほうは恋愛工学的にも、非常に重要な作品なのだが、こちらのテーマは、僕の有料メルマガのほうで論じることにしよう。

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編集部より:この記事は、藤沢数希氏のブログ「金融日記」 2016年9月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「金融日記」をご覧ください。