二重国籍礼賛論の根本的誤りと否定論の落とし穴

2016年10月10日 07:30

二重国籍を否定的に見ることが人権侵害だとか人種差別だとかいうトンデモ議論がある。それは無茶苦茶だ。

そもそも日本の国籍法は若干の例外を除いて、二重国籍を禁じている。法的に許されない状況にあることを批判することは当然であって、擁護することこそ、公序良俗に反する(ただし、法的に許されているとか、真にやむを得ないケースの人について配慮することは必要だ)。

さらに、一般論で論じるなら、国籍は単一であることが望ましいのであるが、それを徹底するといろんな矛盾があるので、なんらかの救済措置が必要というだけだ。

その方法は二重国籍を限定的に認めるが規制を加えるか、認めないが救済措置を取るかだ。現実的な対応としては、その両者を適切に組み合わせるのが適切だ。

その具体的な方法は、今日は少し横において、二重国籍というものをどう考えるかという根本論を少ししておこう。

国民であることは権利も義務も伴う。それなら、二重国籍であることは、権利も二倍で義務も二倍となるのだろうか。もちろん、それもありうる。

両方の国で参政権があり、所得税もそれぞれの国が定めたように二重に支払う。そして、兵役があれば、どちらの国のためにも決められた年限フルに行い、どっちかの国で禁止されたことは行わないようにすればそうなる。

しかし、二重国籍は良いことだという人で、それで良いという人はいない。礼賛論者の言い分は、「権利は2、義務は1以下」なのだ。以下というのは、片方の国は重税だが兵役がなく、もう一方は税金は安いが兵役があるとしたら、兵役はどっちでもしないが、税金は安い方でとうことも可能にして欲しいということだ。

望ましいのはどうかといえば、国際条約を結んで、一定のルールに従って、どちらが優先するかを定めて、両方あわせて、権利も義務を1にすることだ。たとえば、日本で暮らす日米両国籍の人は、日本0.8、アメリカ0.2くらいになるだろう。

しかし、実際には、権利も義務も1.2とかいうことが現実的か。たとえば、出入国についていえば、国籍がある国への入国は両方の国で自由、特定の外国への入国はどっちかの国が禁止していたらダメといった具合であるのが正しい。

参政権はどちらか一方であるべきだ。日本の総選挙とアメリカの大統領選挙と両方投票したり立候補する権利を認める合理性はなにもない。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学大学院教授

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