朝日・岩波が支えた戦後の「表の国体」が終わる

iwanami神田・神保町の信山社が、東京地裁から破産開始決定を受けた。私ぐらいの世代にとっては「岩波ブックセンター」としておなじみで、本屋にない岩波書店の本も信山社に行けば必ずあるので便利だったが、気がつくと岩波の本はほとんど買わなくなった。

アゴラの書評欄でも今年103冊書評したうち、岩波は3冊だけだ(うち1冊は「読んではいけない」本)。その原因は、反原発派のパンフレットに化けた『科学』を見ただけでもわかる。今年の岩波新書からざっと拾うと、こんな感じだ。

 ・池内了『科学者と戦争』
 ・青井未帆『憲法と政治』
 ・柄谷行人『憲法の無意識』
 ・本間龍『原発プロパガンダ』
 ・金子勝・児玉龍彦『日本病』

著者とタイトルだけでおなかいっぱいで結論がわかるので、わざわざ買って読む人は少ないだろう。戦前には朝日新聞を初め新聞がこぞって「時局迎合」する中で、岩波だけがアカデミズムを守り、戦後は『世界』が論壇の中心だった栄光の歴史も、終わりが近づいているようだ。

これはリベラルの知的生産力が失われたことを象徴している。戦後しばらくは自民党は保守反動で、岩波はそれを批判する革新的なメディアだというイメージがあった。最盛期は『世界』編集長の安江良介が美濃部都知事の秘書になって、全国の革新自治体をリードした60年代後半だろう。その後も安江は役員から社長になり、岩波の左派路線を決定づけた。

ただ実質的に岩波の編集権をもっていたのは、東大の左派系教師だった。教養学部の教授会の内容は、翌日には岩波に筒抜けだったという。その張本人がトロツキストのセクハラ親父、佐々木力だった。彼のような権威主義が駒場と岩波をミスリードし、どちらも終わってしまった。

大きな岐路は、冷戦の終わりだった。それまで岩波は社会主義を志向し、経済学の本も「近経」はほとんど出さなかったが、マルクス主義の学問的な生産力はなくなった。労働組合も日共系で労使関係が悪く、岩波の経営は悪化した。

安江が死去した後の2000年代には、岩波でも左派の影響力が小さくなったが、このころには出版業界が不況業種で、まともな人材が入ってこなくなった。私のところにも編集者が一度来たが、原稿を書くことをOKしたら、ウェブサイトの文章を無断でゲラに組んで「来週までに返せ」と言ってきたので驚いた。

朝日・岩波的な護憲論は戦後の表の国体だったが、それは社会主義勢力の裏のイデオロギーを隠すタテマエとして使われただけで、憲法9条で国が守れるなどと思う人はいなかった。ところが社会主義が崩壊したので、形骸化した表の国体だけが残った。たまたま政権についた社会党はそれも放棄し、今は何も残らない。

マルクス主義にはそれなりに知的な価値があり、論じる意味も(20世紀前半までは)あったが、21世紀になって中身のない「立憲主義」なるお題目をとなえている出版社は岩波ぐらいで、それを信じているのはシールズのような低能の学生だけだ。改革しようにも人材が払底し、もはや紙の本がいつまであるのかもわからない。