今日(28日付け)の日本経済新聞の経済教室に大西隆・日本学術会議会長が「安全保障と学術の協力」を書いている。「安全保障に役立つ基礎的科学研究は必要」としつつ、「防衛秘密に関する研究避けよ」と説いている。
要するに、自衛目的ならいいが、侵略的、攻撃的な軍事力の研究はお断りだ」と言っているのである。他国を侵略したり、一方的に攻撃する軍事力を拡充する研究をしないのは当たり前であり、そんな研究は世界的に批判されている。そして「自国は防衛的な研究だけをしている」と各国の為政者は語る。
だが、それはいずれもタテマエなのである。攻撃と防御は裏表の関係にあり、防衛的な兵器はいつでも攻撃になりうる。そういうことの方が多い。従って、いかに攻撃的に使わないかが、その国のあるべき政策なのだ。
その点を冷静に踏まえ上で、「悪魔の所業」となりうる軍事兵器の長所、短所を正確に研究し、改善点を探らなければならない。なぜか。
日本という国を敵の攻撃から守るには、敵の攻撃力を正確に把握し、それに対処できる能力を身につけねばならないからだ。米国に守られていたときはいいが、トランプ次期米国政権になるにつれ、日本自身の独立した防衛力を求められてくる。それを踏まえて集団的自衛権の行使容認や、軍事力の充実論が登場しているのである。
大西氏はそうした東アジアの「いまそこにある危機」への認識が極めて薄弱、ないし欠如している。だから、日本をどう守るか、そのための核術研究は何かという視点が乏しいのだ。彼の姿勢は次の文章に表れる。
日本学術会議は1950年と67年に「戦争を目的とした科学の研究を行わない」という趣旨の声明を出している。筆者は日本国憲法の戦争放棄、軍隊不保持・交戦権否定の条項を支持している。従って憲法前文の記述を踏まえ、近隣諸国を含む諸外国との友好関係の構築に努め、相互の信頼と尊重の下で平和を維持することを目指すべきだと考える。……この観点で、日本学術会議の2つの声明も堅持すべきだと考える。
しかし一方で、現実論としては、国連憲章にも明記されている自衛権に基づき自衛組織を保有することは国の安全保障にとって避けられないと考える。そのためにいわば戸締まりとして、自衛隊やその装備が必要となる。従って自衛隊の存立を認め、大学などの研究者がその装備のための研究開発をすることを認める。
これは集団的自衛権を意見とする憲法などリベラル左翼派の学者の典型的な矛盾である。「戦争放棄、軍隊不保持・交戦権否定の条項を支持している」のなら、自衛組織として自衛隊が必要だと思っても、憲法9条を守って自衛隊の存在を認めるべきではない。自衛隊が必要と思うなら、憲法9条を改正すべきと主張すべきだろう。
こんな矛盾を露呈したまま、現状追随の形で自衛隊を認めるのは国民の大半が自衛隊は必要と思っているからであり、消極的であっても、これを認めざるをえない。大西氏はそれを「現実論」という。
こんないい加減な考え方で憲法を読んでいる小中学生を説得できると思っているのだろうか。いくら大西氏たちが「自衛隊は軍隊ではない、憲法違反ではない(王様は裸ではない)」と言っても、5兆円もの予算をつけて活動している自衛隊を見て子供たちが「王様は裸だ(自衛隊は軍隊だ)」と言ったら、どうするつもりか。
大西氏は「自分はつねに国家の軍事的な行為に目を光らせている平和で清潔な研究者である」ことを訴えるために、矛盾を平気で認めてしまうのだろう。
「戦争を目的とした科学の研究を行わない」「諸外国との友好関係の構築に努め、相互の信頼と尊重の下で平和を維持することを目指すべきだと考える」などというのは、理想論というより、現実を知らない学者の書生論、空想論である。そういうと「危険な軍事拡張論だ」などとトンチンカンな反論をしてくるが、現実の各国の動きを見て、なぜそう思わないのか。やはり「自分は平和論者なんだ」と周囲に認めさせる事にのみ考え、国家の安全保障を無視している。保身だと言っても良い。
だから、大西氏は自衛隊を認めても、極めて消極的である。
自衛目的に限定して、大学などの研究者が将来の装備品開発に役立つかもしれない基礎的な研究をすることを可能とする条件について考えてみよう。最も重要なのは、研究目的が自衛装備の範囲内であることの説明責任を、研究資金を提供する側、研究実施者、さらに実施者が属する機関がそれぞれ果たすことだ。
同時に研究成果がすべて論文や特許として公開され、広く社会に還元されることも欠かせない。防衛秘密を使ったり、防衛秘密を生み出したりする研究ではないことが肝要だ。留学生が研究に参加できる制度であることも国際化を進める大学では必須だろう。
一見、平和的な考え方と思うだろう。だが、中国や北朝鮮は虎視眈々と日本の先端技術を狙っている。日本は今までも多くの技術が盗まれている。
日本の安全保障を考えるなら、一定のレベルの研究は公開せず、留学生の参加も認めない姿勢が重要だ。
先端技術の秘密保持は中国やロシア、北朝鮮はもとより欧米でも当然のこととしてやっている。ネットのサイバー技術や宇宙空間の研究が国に安全保障の死命を制するようになっているいま、そこを考えずに、平和的に対処しようなどと考えているとすれば、現在の国際社会の動きを全く見ていない、と言わざるをえない。
日本学術会議とは誠に困った存在である。