コブのない駱駝 北山修とフォーク・クルセダーズが残したもの

最近、北山修の自伝的な本、「コブのない駱駝」を読みました。
これは精神科医である彼が自身を精神分析するという形のちょっと変わった自伝です。

 

ぼくは中学時代に彼が自切俳人の名前でやっていたオールナイトニッポンを聞いて感化されて、70年前後のフォークを聞くようになって、リアルタイムの音楽よりも前の時代の音楽を聞く事になりました。

北山修はフォーク・クルセダーズを結成、アマチュア時代の解散記念として、自主制作のレコードを出したら、その中の「帰ってきたヨッパライ」がラジオで流されて、これが大ヒット。自主制作で300枚つくったものが、東芝EMIからシングルカットされて280万枚売れました。その後オリジナルメンバーの北山修と加藤和彦ははしだのりひこを加えて、1年限りのプロ活動を行い、予定通りに1年で解散しました。「悲しくってやりきない」などのヒットを飛ばしました。

その後北山修は大学に戻り。精神分析医の道を進みます。後の二人は音楽の世界に残りました。

その後北山修は「戦争を知らない子供たち」「花嫁」「あの素晴らしい愛をもう一度」「白色は恋人の色」「さらば恋人」などの作詞を手がけています。結構学校の合唱曲になったりしたので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。また多くの歌手がカバーしてもいます。

以前書きましたが、「戦争を知らない子供たち」は反戦歌だと誤解している人が多いのですが、北山修はあれは単に自分たちが戦争を知っている大人たちとのジェネレーションギャップとそれに対する反発を書いたものであり、特に反戦を意図したものではないと著書で述べています。

今や戦後70年で、殆どの日本人は「戦争を知らない子供たち」になっております。

北山修は京都医科大学と千葉大学に受かっていたのですが、地元の京都医科大学に進学しました。
もし彼が千葉大に入学していたら、日本のポピュラー音楽シーンは随分と違っていたものとなったでしょう。

であればフォーク・クルセダーズは結成されず、日本で最初に注目された「帰って来たヨッパライ」は生まれず、その後のインディーズシーンは大きく買ったのではないでしょうか。あの後、フォークの人たちが結構、自主制作をはじめましたが、フォーク・クルセダーズがいなければ、活動は随分違ってきたのではないでしょうか。

当然はしだのりひこや加藤和彦もプロにはなっていなかったはずです。

そうであればジローズ(アマチュア時代ではなくその後のジローズ)も結成されず、「戦争を知らない子供たち」も生まれなかった。70年代前半のフォーク音楽、その後のニューミュージックも随分と変わったものになっていたことでしょう。

それまでの音楽業界は専門の作曲家や作詞家が作った歌を、歌手が歌うというシステムが当然だったのですが、
フォークのブームで自分たちが作って、自分たちが歌うというスタイルが定着しました。無論他のフォークの人たちもいましたが、フォーク・クルセダーズの影響は極めて大きかったはずです。

サディスティックミカ・バンドも生まれず、日本のロック界も随分と変わったものになっているのではないでしょうか。

ミカ・バンドには高中正義もいましたが、彼もミカ・バンドにいなかったら随分と経歴がかわったものになったのではないでしょうか。その後のサディスティックには高橋幸宏が参加していましたが、かれもこのバンドがなければ、後にYMOを結成することも無かったと思います。

それから加藤和彦は日本で初めてコンサートなどの音響システム、PAシステムを扱うギンガムという会社を作りました。これがなければ本邦でのでのPAの導入はかなり遅れたのではないでしょうか。

あれこれ考えてみると、1人の人間の選択が世の中に大きな影響を与えたことがわかります。

フォーク・クルセダーズがデビューしたことで多くの若者が自ら音楽を始めました。アルフィーの坂崎幸之助もその1人です。

個人的には自切俳人のオールナイトニッポンを聞いて北山修を知らなければギターを始めることも無かったと思います。北山修は声はいいのですが、音痴(笑)でした。これがプロならば俺もと思った次第で(笑

ぼくがジャーナリストと会社経営の二足のわらじに違和感を感じないで両立させているのも北山修の影響かもしれません。多くの人たちが北山修らの音楽から何らかの影響を人生に受けたと思います。

東洋経済オンラインに以下の記事を寄稿しました。
「駆け付け警護」は自衛官の命を軽視しすぎだ
http://toyokeizai.net/articles/-/146208

駆けつけ警護に関してJapan In Depth に以下の記事を寄稿しております。

自衛隊に駆けつけ警護できる戦闘能力はない その1 情報編
http://japan-indepth.jp/?p=31070
自衛隊に駆けつけ警護できる戦闘能力はない その2 火力編
http://japan-indepth.jp/?p=31120
自衛隊に駆けつけ警護できる戦闘能力はない。その3防御力編 前編
http://japan-indepth.jp/?p=31185
自衛隊に駆けつけ警護できる戦闘能力はない その4防御力編 後編
http://japan-indepth.jp/?p=31379
自衛隊に駆けつけ警護できる戦闘能力はない その5戦傷救護編
http://japan-indepth.jp/?p=31436


編集部より:この記事は、軍事ジャーナリスト、清谷信一氏のブログ 2016年12月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、清谷信一公式ブログ「清谷防衛経済研究所」をご覧ください。