「姥捨て」という都市伝説

2017年01月06日 00:05


世の中には、意外に根も葉もない都市伝説が受け継がれているもので、「姥捨て山」というのもその一つだ。これは深沢七郎が『楢山節考』で創作した物語であり、そんな歴史的事実はまったく存在しない。

もちろん人口問題は昔からあった。日本の人口は江戸時代に急速に増えたが、農地を開墾する余地がなくなった1700年ごろ2600万人で止まり、それ以降150年間ほとんど増えなかった。これは偶然とは考えられない。人口問題を解決した方法は、姥捨てとは逆の子捨てである。もっとも多い方法は「水子」、つまり乳児を捨てることだった。

これは合理的である。老人を殺すのは大変だし、捨てても村に戻ってくるが、乳児は放置するだけで死んでしまう。速水融『歴史人口学で見た日本』によると、1750年以降の記録から確認できる乳児死亡率は21%で、これが当時の日本の平均に近いと彼は推定している。これはいま世界最高のアフガニスタンより高い。

もう一つは、速水氏が都市アリ地獄説と呼んだ現象だ。江戸時代の人口を推定すると、農村の人口が増える一方で、江戸が100万人、大坂と京都が各50万人で、ほとんど増えていない。この原因は都市の衛生環境が悪く、伝染病などによる死亡率が高かったためだと思われる。ある村の記録では、奉公人が都市に出たうち、奉公を終了した理由の3割が「死亡」だった。

人口が都市に移動したのは、伝統的な「合同家族世帯」が江戸時代に「直系家族世帯」になったためだ。中世には兵農が分離しておらず、数十人の大家族で一つの軍団を形成していたが、江戸時代に平和になって親子3代までの小家族になり、労働意欲が強まって勤勉革命が起こった。土地を相続するのは長男だけなので、次三男や女性は都市に出て死んだのだ。

このような歴史をみると、現代との共通性がみえてくる。江戸時代に農地が限界に達したとき、「口減らし」として行なわれたのは、既得権をもつ老人を捨てることではなく、若者や子供を捨てることだった。その伝統は、今も日本に残っているのだ。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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