元号存続についての折衷案

2017年01月11日 16:30

今上天皇ご譲位に関係して、新元号が新聞を賑わしはじめた。大手マスコミは、「ネットメディアではこうは行くまい」とばかりに政府系の情報を流しはじめている。これから数年、抜きつ抜かれつのスクープ合戦になることかと思う。

その報道の内容よると、新元号はその半年前に政府決定ということだ。しかしながら、わたしの周囲でもすでに2019年(平成で数えると31年)あたりの計画であったり受発注が、とっくに動き始めているわけで、こうなると、現在のところ元号表記でぎりぎり踏みとどまっている会社・法人も、次第に西暦の単独表記に切り替えてゆくことになるはずだ。

新聞報道が本当になるかどうかはわからないが、「半年前に決まる」というよりも、「半年前にしか決まらないのか」というのが実感だ。自民党が望むと望まざるとに関わらず、元号が実用から遠ざかってゆくことは避けがたい。

ところで、いささか古い論述だが、加藤周一は1970年代の半ば、こんなことを書いていた。

日本の人民が、国の主権者として、旧中国の習慣をまもり、帝政とむすびつけて年を算えるのは、時代錯誤ではないだろうか。―――しかしそのことと全く離れてみても、元号を廃した方がよいと思われる理由は他にもある。

元号の廃止に反対する議論には、元号が特定の時代の雰囲気を伝える、というものがある。「明治の男」、「化政の江戸」、「元禄の文化」など。それは「身の丈六尺」という言い回しの味が失われるから、尺貫法の廃止に反対し、「草木も眠るウシミツ時」に愛着があるから、国鉄・日航の時間表も、何時何分ではなく「明け六つの特急」とした方がよいというようなものである。しかしそういう反論をする人々の何人が、たとえば美術史家のしばしば用いる「弘仁仏」「貞観仏」という表現と、「九世紀の前半および後半の仏像」という表現の、どちらを容易に理解するだろうか。西暦に慣れれば「世紀末」とか「六〇年代の学生運動」という言葉にも、時代の雰囲気を感じること、元号の場合と変わらない。

メートル法採用は、多数決の結果ではなくて、多数の利益に奉仕するものであった。西暦の採用もまた、多数決の結果ではなくて、日本国の人民の多数の利益に役立つものであり得るだろう。なぜ年を算えるのに、キリスト誕生からはじめなければならないか。そうでなければならぬ理由は全くない。ただ皆同じところから算えて、各年に通し番号をつけるのが、大変便利だというだけの話なのである。

『言葉と人間』(朝日新聞社・1977年)所収
「廃元号論または『私と天皇』の事」から抜書き

加藤の論点は3つ。

(1)元号の存在が人民主権から逸脱していること。
(2)元号の文化的歴史的印象が西暦でも代替できること。
(3)西暦の方が便利であること。

(1)に関しては、このすぐ後に制定された元号法が効力をもっており、現在さしあたって議論にはならない。(3)に関してはその通り。西暦が便利であるというよりも、元号の不便が明らかになってきている。

(2)の論述は、しばしば言葉で見得を切る癖のあった加藤にしてもかなり乱雑で、尺貫法への無理解はここでは措くとしても、やはり時代に名が与えられていることには価値がある。数的表現では味わいがない。わたしはそう考えるところだ。

元号の価値とその通用が、日本に限られるものであるとしても、それはそれで面白いだろうし、それゆえに面白さが増すということもあろう。すでに結着のついている実用での優劣で粘るよりも、文化的象徴の陣地までサッと引く方が賢明ではあるまいか。

昭和は長く続いた。そのため、昭和を戦前と戦後に区分するだけでも足らず、「高度成長期」「万博前後」といった補助表現も数え切れない。そういった意味で、元号の文化的歴史的印象は、一世一元となったところでかなり損なわれてしまっていたともいえる。加藤の論が出てくる素地はあったわけだ。このままでも、元号がなくなることはないだろうが、残るといってもそれはやはり儀礼的な限られた範囲に縮小してゆくにちがいない。

もし今後も元号を残そうとするのであるとすれば、むしろ改元を柔軟にすべきではないだろうか。そしてそれが望ましいとわたしは考える。慶応まではそうだったのだから。

さらに言えば、使うにあたって混乱しないよう、西暦の末尾の桁と元号の値を同じにする。つまりは基本的に10年で改元するといった具合である。

これはかなり粗い意見である。それは承知している。しかし明治6年(1873)に新政府が突如として太陽暦を導入した実績、また昭和戦後、新嘗祭を「勤労感謝の日」に、彼岸の中日を「春分の日」「秋分の日」に巧みに読み替えた工夫と比べてみて、そうもむずかしいものではないだろう。

結論をいうと、わたしは元号そのものを好ましく思うのであって、明治以後の一世一元に強い関心を有しない。しかし生活上で本当にややこしいのは、元号と西暦の関係ではなく、実際の「年」と、お役所仕事などの「年度」との乖離である。

2017/01/11 若井 朝彦
元号存続についての折衷案

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