毛沢東批判をして早期退職を迫られた中国の大学教授

中国の大学は秋季の期末テストがほぼ終わり、キャンパスでは連日、春節を実家で迎えようと帰省する学生の姿が目立つ。静かに見える大学の光景だが、それとは裏腹に、大学人の間ではある話題が熱を帯びている。山東省にある山東建築大学芸術学院副院長の鄧相超教授(62)が、毛沢東の誕生日に当たる昨年12月26日、自分のミニブログで(微博)で毛沢東への批判を書き込み、それがもとで山東省の顧問職を追われたほか、教授の早期退職まで迫られたのだ。

以下は書き込みの内容だ。

「毛沢東が1945年に死ねば中国人は600万人が戦死せずに済み、58年に死ねば3000万人が飢え死にせずに済み、66年に死ねば2000万人が闘争で死なずに済んだ。76年に死んで中国人はようやく食べ物にありつけた。彼が行った唯一の正しいことは死んだことだ」

かなり辛辣なジョークだ。中国は抗日戦争後の45年から共産党と国民党の内線を経験し、58年には無謀な鉄鋼・穀物生産で大量の餓死者を生んだ大躍進政策が始まり、66年からは階級闘争で知識人や資本家を多数迫害した文化大革命が発動された。大躍進も文革も、毛沢東が独裁を実現するために仕掛けた政治闘争の側面がある。犠牲者の数字には諸説あるが、彼が犯した個人崇拝と大衆動員による専制政治の過ちは、党が公式の「歴史決議」によって認めている。鄧教授が挙げた数字はむしろ控えめな方に属する。

だが同決議は、「(建国を果たした)中国革命の功績ははるかに誤りを超え、功績が第一で、誤りは第二だ」とし、毛沢東の「偉大な無産階級の革命家」としての評価は維持された。その意味で国共内戦の否定は、共産党の正統性に対する直接的な挑戦になる。毛沢東崇拝者たちはたちまち決起し、ネット上の歯に衣着せぬ攻撃に加え、同大や同教授の自宅まで押しかけたうえ、横断幕を手に抗議のデモを行った。

横断幕には、「毛主席に反対するものはみな人民の敵だ」「鄧相超は全国人民の前で罪を認めよ」「鄧相超が毛主席を侮辱した罪は逃れることができない」などと激しい言葉が書かれている。格差の拡大や腐敗の深刻化によって、「みなが等しく貧しかった」毛沢東時代を回顧する声が広がっており、毛沢東崇拝者の鼻息は年々荒くなっている。

だが、行き過ぎた言論統制・弾圧に異を唱え、言論の自由を訴える自由主義者の知識人も少なくない。言論を権力の強圧によって封殺する手法は、まさに文革時代に逆戻りした手法だ。国際社会での責任を掲げ、世界に台頭する大国としてはふさわしくない。

現場では教授を支援するグループが、毛沢東崇拝者の群衆に殴打される事件まで起きた。毛沢東崇拝者が掲げる「愛国」「愛党」に対し、警察も傍観するだけでうかつに手を出せない。極めて危険な兆候がうかがえる。

「外での発言は注意しなければならない」「会議や授業でうかつなことは口にできない」「知らない人が加わっている微信(ウィーチャット)の交流サークルでは、書き込みに気を付けた方がいい」

こんな教師のささやきとぼやき、嘆き、落胆が各地で聞かれる。

習近平政権下のイデオロギー統制で、メディアだけでなく学術・教育機関でも思想工作が強化されている。共産党の一党独裁を批判する教師を、学生が「反革命的だ」と告発する事件まで起きている。信じたくはない話だが、大学によっては党組織が学生に金銭を与え、教師の言動をチェックするスパイ役を強いているとの話まで伝わる。そういうことを覚えた学生、見聞きした若者たちへの悪影響は計り知れない。人生の理想や社会への期待を語るべき大学の場を汚す大罪だ。

習近平は昨年12月の全国高等学校思想政治工作会議で、「徳を納め、人を育てる(立徳樹人)」ことを根本に据え、「調和のとれた理性を備えた健康な心理状態を育てる(培養理性和平的健康心態)」ことを訴えている。お互いが言いたいことも言えず、疑心暗鬼になり、相互不信の中で育つ子どもたちが、どのような心理を抱くようになり、どのような人間になるのか。答えは明らかなはずだ。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年1月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。